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第24回

◎ 温かい言葉

JR山手線の東京駅北口階段の壁面に、相田みつを美術館の広告なのですが、「ただいるだけで」という、あの独特の字で大きく書かれた詩が、階段を降りている人の目に否応なく飛び込んで来ます。
 
     あなたがそこに ただいるだけで 
     その場の空気が あかるくなる
     あなたがそこに ただいるだけで
     みんなの心が  やすらぐ
     そんなあなたに わたしもなりたい
 
ちょうど良寛さんを調べていた時のことでしたので、最初に気がついたときは「まるで良寛さんだ」と思いました。解良栄重が書いた「良寛禅師奇話」の中の「良寛さんが我が家に泊まられると家の者が和やかになり、ゆったりとした空気が家中に流れる。良寛さんが帰られても、二、三日はその和やかさが漂っている」という話を思い出したのです。

現在、シリーズで刊行中の新潮文庫「司馬遼太郎の考えたこと」が、ちょうど10冊目になりますが、そこに文化人類学者である加藤九祚(かとう きゅうぞう)さんのことが書かれています。加藤さんが「大佛次郎賞」を受賞されて、受賞記念のパーティに司馬さんが出席されていたときの出来事です。文人ではなくこの種のパーティには見かけない一団の方々が出席されていて、それが加藤さんのシベリア抑留時代の戦友達だったのです。スピーチの順番がその戦友にもまわってきて、代表の一人が、共にしたソ連での奴隷のような捕虜生活を話されたそうです。

その代表者は、捕虜生活があまりにも厳しく、全員が絶望的になっているとき、戦時中は隊長であった加藤さんが当時話されていたように、その口真似までして次のように参加者に語ったようです。「ね、帰りましょう、一人残らず元気にくにに帰りましょう、それが唯一の目的じゃありませんかと、繰り返し優しくさとされた。加藤さんのそういう愛情がなかったら、われわれはどうなっていたかわからない」と。

司馬さんはそれを聞いて「九祚さんはその頃からそうだったのか」、「この人には、擬態もなにもなく、そういう境涯の中でもいまのように生きておられたのか」と思われたようです。私は残念ながら加藤九祚さんを存じ上げませんが、この一言で加藤さんのお人柄を想像します。また、加藤さんはその抑留中に現地の人々にロシア語で話しかけられ、ロシア語の方言をマスターされたとも書かれています。今春は、83歳のご高齢ながら、ウズベキスタンで、お元気に遺跡発掘に従事されていると、インターネットWEBで読みました。いつの時代も温かい言葉には、温かい心がこもっているのですね。   (A)



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