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第19回

◎ 北野たけしと世阿弥

金曜日の夜、十時から東京12チャンネルで放送される「たけしの誰でもピカソ」という番組の話から始める。今年最初の番組は、観客にお笑い芸を披露した芸人が舞台にセットされた居酒屋に入ってきて、客に扮する北野たけしはじめレギュラーメンバー達と、これまでの生活や芸風について歓談するというものであった。ある場面で北野たけしが「おいらも、ここにいるどの芸人も、やがて年とともに観てくれているお客の気持ちが、間違いなく離れてゆく時が来る。だけど、だから何にもしなくてよいと言うんじゃなくて、離れていくことは分っていても、芸人は手を抜かず芸を磨き続けなければならない。飽きられようが、どうなろうが、芸人を続ける限り、自分の芸を磨き続けなければならない。芸人とはそういうもんだ。」という話をした。この番組を観た方には説明不要ながら、これを聞いていた出演者のひとり、柴田理恵が感極まって泣き出したのである。「感動した」ということだったが、柴田理恵には、来し方、芸人としての修業中のあれこれ、何かが胸を突き上げて、思わず涙があふれたのであろう。過酷な修業、ライバルとの熾烈な闘い、芸人には舞台やテレビの表には出ない苦労があるのだと思う。

北野たけしの活躍を、今さら我ら如きがとやかく言うことは止めにするが、テレビタレントとして、「かぶりもの」を着けなければマジックで顔を塗りたくり、らくだの下着で登場し、視聴者の心を瞬時に掴んで笑わせるというパターンは段々少なくなってきて、ベネチィア映画祭で最優秀監督賞を獲得して以来、ここ数年発表する映画作品は、全て話題を独占するという、これまでとは違った新たな才能を発揮し始めた。その幅広い活躍は今や日本芸能界に君臨する最高位の一人であろう。若い頃、浅草の劇場でショーとショーの幕間をつなぐコントから出発し、漫才ブーム到来の時に毒気の強いセリフで観客を掴み、先ずはお笑いの世界で頭角を現した。ある時はマスコミとのいざこざで世間を騒がせ、ある時はバイクによる大怪我で命を落としかけもした。詳しい事情は知る由もないが、背負った芸人としての負の部分を、ともかく乗り越えて現在の活躍である。その人が発する「芸人は最期まで芸を磨き続けなければならない」というのは、柴田理恵でなくても重みを感ずる一言であろう。同じような言葉を書に遺しているのが、日本古典芸能の大御所、能楽の秘伝を今に伝える世阿弥元清である。

世阿弥という人は、父観阿弥の教えにしたがい能を舞い、その無意識の艶やかさで幼少時から人気を得て華やかな世界に躍り出た。ところが、父が早々に逝って22歳の若さで観世座の中心となるも、後援してくれた足利義満が義持に将軍を譲り出家する。やがて逝去するまでの十年余のうちに、義持の趣向は別人に移り、今までの追い風が逆風に転じてきた。70歳の時に後継者である元雅を失くし、挙句には義持の次の将軍義教には遠島という処罰まで受ける不幸な経験をする。世阿弥はこれらの逆境を克服し、能楽の真髄、修業の方法を書にして伝達するのであるが、世阿弥がこれを遺してくれたから、現代の我らにも読むことが出来るのは幸いである。その著「風姿花伝」には、自ら演じてきた能楽を花に譬え、若い時の美しさや優雅さは観客から称賛されても、それは所詮「時分の花」であり、若さという容姿や声の艶が褒められているだけで、能楽の奥儀を得たとは言えぬ。咲いている花はやがて散る。まことの花というものは 咲いているときも散るときも、透き通った心のままに演じきることであり、そうなるように修業することなのだという。
「時分の花」とは若さがあふれる芸の一時の華やかさを言っているのである。

若いときも老いが訪れても、「私」を去って心のままにその役になりきれる、そのための稽古、修業を積むことだという世阿弥の気持ちは、まさに上述の北野たけしの一言に通ずると思う。古典である能楽も現在の芸能も、自分に割り付けられた役割に徹し、これを演じ、如何に観客を喜ばせるかという目的に向かって練習を続けることが要求されていると思う。そして若いうちは若さを武器に思う存分演じればよいのだろう。しかしやがて訪れる「老い」に対しては、若さとは別な「熟した演技」を身につけたかどうかが、芸人としての命綱ではないかと思う。「熟した演技」とは何か、それは単に脚本通りに演じるというのではなく、自分の置かれている立場を芝居全体の中で察知し、しかる後にその場に溶け込むように演じていくというようなものではないか。あてられる照明、バックグラウンドに流れる音楽、観客の心、それらを総合したものが私を演じさせているというような、透明感がそこにはあるように思う。森光子の「放浪記」も、有馬稲子の「はなれ瞽女おりん」も、渥美清の「寅さん」も全て演技者の平素からの心身ともに鍛え、演技のみならず人間世界そのものを考え抜いている成果が演技に出るのではないか。

選手の練習や競技にかける精神力の鍛錬など、スポーツ界も芸能界に相通じるものがあると思う。むしろ芸能と違って競技では、記録という結果が競技者としての生命を決めるので、人の情を許さない、極めて明確な顛末がそこに待っている。野球で言えばイチローや城島、岩隈といった今や実力を謳歌する者、すでに衰えを隠せない桑田、清原、佐々木など、嘗ての実力者達、サッカーで言えば大久保、小野、サントス達と三浦、中山の違い、いずれの立場にあっても苦しいことに違いはないが、今後彼らがどのように生きていくのかは、我ら一般人の励みにも指標にもなると思う。世阿弥は言う、「年期の入ってきた演技者(選手も同じ)が、嘗ての名望ばかりに頼り、何が求められているかを把握しないで演じて(プレーして)も、まるで花の咲いていない草木を集めたようなもので、味気なく人の心を打つことはない。求められているものを演じきる努力こそ、役者寿命(選手生命)を永くするものであり、永く人々の賞賛を得られるものである」と。これは他人事ではなく、我らの日常もここに示唆される歩むべき方向と姿勢を考えることは大切だと思う。

そして芸能の世界であれスポーツの世界であれ、我らの日常生活の励みになり、指標となってくれる人達から学ぶことは大切である。そして、指標となってくれる人たちに共通していると思われ、世阿弥も「三つのことが揃わないと大成しない」と言う三要素を少し拡大解釈になるかも知れないが記述する。一つ目は「自分の選んだ道を一心不乱に邁進できること(それが一番好きなこと)」であり、二つ目は「好きなことを続けられる最低限の素地を持ち、上手になるように努力し続けること」、そして三つ目は「教わる師と周囲に一緒になって苦労をしてくれる支援者を持っていること」というのである。応援団子はこのほかに「自分を客観的に見詰めることの出来る意思と余裕を持っていること」というのを加えたいと思う。ビジネスマンであれ商人であれ、自分達の地道な仕事を「彼らのような世界とは別だ」と放り出してしまうのではなく、好調に回転している時でも、苦境にある時でも、少なくとも「時分の花」か「まことの花」かの区別や、「私」にこだわりすぎてはいないかぐらいはチェックし、いつも自分自身の置かれている環境を把握する余裕を持つように心掛けねばならないと思う。(応援団子A)



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