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第18回

◎ 師走・別れ・出発

 何処から集まってくるのだろうか、東京のオフイス街にも枯葉が舞いあがる。冬だというのに吹いてくる風はそんなに冷たくない。この年末、永年住みなれた東京を離れて、故郷に帰るという友と、昼食を共にした。友とのしばしの懇談の中で、ふっと思い出していた兼好法師の「徒然草」のいくつかを、先ずは読んでいただくことにする。

  ◎ 第十二段
『同じ心ならん人としめやかに物語して、をかしき事も、世のはかなき事も、うらなく言ひ慰(なぐさ)まんこそうれしかるべきに、さる人あるまじければ、つゆ違(たが)はざらんと向ひゐたらんは、ただひとりある心地やせん。たがひに言はんほどの事をば、「げに」と聞くかひあるものから、いさゝか違ふ所もあらん人こそ、「我はさやは思ふ」など争ひ憎み、「さるから、さぞ」ともうち語らはば、つれづれ慰まめと思へど、げには、少し、かこつ方も我と等しからざらん人は、大方のよしなし事(ご)言はんほどこそあらめ、まめやかの心の友には、はるかに隔たる所のありぬべきぞ、わびしきや。』

   (意訳)
    『心を許しあった友とひたすら話し合って、面白いことも悲惨なことも、本心を語り慰めあうことができれば、それは嬉しいことであるが、でもそんな人はなかなかいるわけがなく、相手の人に話を合わせるように、気を使いながら対話するのは、考えれば、一人でいるのと同じようなものではないか。
   対話の中には、「確かにそうだ」と、聞くだけの価値あるものもあるが、意見の違う人には、「私はこう思う」と反論して、「なぜならこういうことだから、そうなんだよ」と、議論しあってこそ、本当は気持ちも晴れるのだが、実際には当たり障りのない適当な会話しかすることもなく、真の友とは言えるようなものではない。侘びしいものです。』

  ◎ 第十三段
『ひとり、燈(ともしび)のもとに文をひろげて、見ぬ世の人を友とするぞ、こよなう慰むわざなる。文は白氏文集、老子のことば、南華(なんくわ)の篇(へん)。この国の博士どもの書ける物も、いにしへのは、あはれなること多かり。』

   (意訳)
    『ひとり灯の下に本を開いて、遠い昔の人を友のように思うのは、慰められる心地がする。素晴らしいといえば、白氏文集や老子、荘子のことばであろう。日本の人の書いたものでも、昔のものは立派なものが多いと思う。』

  ◎ 第二十九段
『静かに思へば、万(よろづ)に、過ぎにしかたの恋しさのみぞせんかたなき。人静まりて後、長き夜のすさびに、何となき具足(ぐそく)とりしたため、残し置かじと思ふ反古(ほうご)など破り捨つる中に、亡き人の手習ひ、絵かきすさびたる、見出でたるこそ、ただ、その折の心地(ここち)すれ、このごろある人の文(ふみ)だに、久しくなりて、いかなる折(おり)、いつの年なりけんと思ふは、あはれなるぞかし。手なれし具足なども、心もなくて変らず、久しき、いと悲し。』

   (意訳)
『過ぎ去った昔を静かに思い返してみると、次から次へと懐かしい記憶が甦ってきて仕方がない。もう、みんなが寝静まった後、長い夜の手持ち無沙汰をまぎらわすべく、灯火のもとで文箱を開けて、いらない書付けなどを捨てるつもりでいると、今はもう亡くなられた人の描き損じた絵や手習いをした端紙が出てきて、思わず気持ちはその時分に戻ってしまう。あの人から貰ったこの手紙は、もう随分以前のこと、何時だったか、どんな思いで書かれたものだったかと一段と感慨深い。貰い受けた硯や水差しなどには心などないのであろう、以前と全く変らない。なんだか切ないね。』

  ◎ 第五十九段
『大事を思ひ立たん人は、去り難く、心にかゝらん事の本意を遂げずして、さながら捨つべきなり。「しばし、この事(こと)果(は)てて」、「同じくは、かの事(こと)沙汰(さた)し置きて」、「しかじかの事、人の嘲(あざけり)やあらん。行末(ゆくすえ)難(なん)なくしたためまうけて」、「年来(としご)もあればこそあれ、その事待たん、程あらじ。物(もの)騒(さわ)がしからぬやうに」など思はんには、え去らぬ事ことのみいとゞ重なりて、事の尽くる限りもなく、思ひ立つ日もあるべからず。おほよう、人を見るに、少し心あるきはは、皆、このあらましにてぞ一期(いちご)は過ぐめる。・・・(以下略)』

   (意訳)
『遁世を思い立つような人は、やり残している気がかりなことがあっても、目も呉れずに打ち捨てなければいけない。「ちょっとこれを片付けてから」とか、「どうせ遁世するのだから、このケリをつけてから」とか、「これを始末しておかないと人様に笑われてしまうかも知れん、後で人様から文句をつけられないように」とか、「ここまで延ばしてきたことだから、それが済むまで待ったとしても大したことではない、慌てることもないだろう」などと思っていては、しなければならない雑事が次から次へと重なって、結局は決意したことが出来なくなる。大体、世の中の人を見ていると、こんな風にして、決意も虚しく一生を終えてしまうのだ。・・』

 卜部兼好は、橘純一校注「徒然草」によれば、平安朝以来藤原家の氏神である吉田社の神官を継いできた家柄の出で、父も兄も官職や僧籍にあり、比較的裕福な家庭環境に育ち、好奇心旺盛かつ読書好きな若者であったに違いない。渡来の書から、清少納言、和泉部、当時の書は片っ端から読んでいたようだ。皇家筋に当たる堀川家に仕えた記録もあるので、位の高い仕えた人の死によって世に無常を感じ、遁世したのであろうか。歌人として名をなし、法師とはいえ得度して僧侶になった人ではなく、「時の知識人」であり、俗世の匂いを嗅いで生きてきた人であった。ただ、ここに掲げた四つの主張から感じる兼好法師は、友も持たない孤独な、繊細な神経の持ち主で淋しがりなのに、誇り高げに振舞う男のように思われる。もっとも徒然草全編を鑑賞すれば、また違った複雑な兼好法師が顕われるのだろうが、それはまた別の事としたい。

 長々と徒然草の幾つかの段を抜書きしてきたが、冒頭におことわりしたように、永年の勤めを終えて友が故郷に帰ることになり、帰る前に一度は会いたいと思っていたら、もうひとりの友が上手い具合に場を設けてくれて、二日後には発つという慌しい最中であったが会うことが出来た。友は入社時からこの会社にはなかった新事業に挑戦、これを成し遂げた。
 闘志が表面に出てくるタイプの人ではないが、やり始めた仕事は粘り強く一つひとつ成功させていった。縁を得て知り合いになった人を大事にしてきたので、営業職の時代に造り上げた膨大な人脈は彼の財産になった。応援団子が年金暮らしに入った時、一時、徒然草を夢中になって読み、兼好の世の中を観察する目線や、これでもかと書き綴る無常観に、置かれた環境や条件は違っても、現代に通ずるものが多々あることを実感したものである。友には余計なお世話、釈迦に説法であるとは思うが、読んでもらうつもりでこれを書いた。

 相変わらずの、はにかんだような笑みを浮かべて静かに現れたのは、いつもながらの彼のスタイルである。「12月に入っているのにコートも要らないなんて、この冬は暖かいね・・・」という挨拶のあと、「荷物をまとめ始めているが、なかなか片付かない。もう時間もないのに・・・」、と話し始めた。そして、話がどんどんと弾んでいくうちに、「しかし昔の人は凄いね・・・」と、身の回りを片付けている間に見つけた昔の上司の手紙について、「文章がしっかりしていること」、「上手という訳ではないが個性的な字であること(こういうのを達筆というのだろう)」、「思えばこの人たちは今の我らよりも若い時代に、これだけの手紙を書いていたんだ」と改めて尊敬の念を抱いたことを話した。この話を聞きながら、口にはしなかったが「徒然草だな」と、兼好法師の上述に書き綴ったものを思い出していたのである。

 この友とは、入社の時期も扱い業種も違うけれど、同じ会社にいた訳だから「どんなことに感動してきたか」、「どんな行為を嫌ってきたか」という、言うなれば、刷り込まれているDNAは、鈍く雑な応援団子と程度の差こそあれ、多分似通ったものであったと思う。勝手な解釈で恐縮ながら、かつての上司の手紙を見つけ読み出したところを想像すると、これは兼好法師の気持ちに通ずると直感したのである。過ぎし日、上司と共に向かった客先での商談、その商談がうまくいって受注に成功した喜びや感動も勿論味わったであろうが、時には失注し呆然としたことも、切歯扼腕したこともあるに違いない。そんな時に届いた上司からの励ましか、あるいは叱咤激励の手紙ではなかったか。また転勤に際してのアドバイスや配慮であったかも知れない。ペンの走らせ方まで思い出しているような口ぶりであった。
 
 友はいよいよ新しい道を歩き始める。故郷での自由な時間をどのように過ごすのだろうか。なにか新しい行動を起こすというより、一度ここで立ち止まって、これまでの整理と思考の時間にしようと考えでいるかも知れない。それよりも先ずは「くつろぎの時間を」と思っているだろう。これからの時間を、自分の思うままに自由に使われて、その新しい環境の中、今までとは違った経験の中から生まれてくる生成物を楽しみにしたい。思えばこの友と、来し方、人生がどうの、生き方がどうのという話は一度もしたことがなかった。この度も「そうか、故郷に帰るか」という淡白な別れではあるが、また、いつでも会えるような気がしており、別れという感じは持ち合わせていない。友の、年の暮れの新しい出発が、まるで自分の出発であるような錯覚を覚え、楽しみが増えた思いがしている。何か清々しい気持ちで、「じゃ、元気でな。」と友と別れた。(応援団子A)

  ご挨拶

 冠省 本コーナーにお立ち寄りいただいている皆様に年末のご挨拶を申し上げます。これまで「書から学ぶ」と題して、歴史上、心に残る人々の活躍やその人が残した著作から感銘を受けたことを書いて参りました。後半はややペースが鈍っていたことを認めざるを得ません。そして、応援団子の独断と偏見によって、必ずしも歴史に忠実に書けているというわけにはいきませんでした。これからまた、新たな構想を立てて挑戦したいと思います。どうか皆様にはおかれましては、健康にご留意いただいて、益々お元気な年末年始を迎えられますよう祈念申し上げます。一年間、お読みいただいて有難うございました。  草々               応援団子A



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