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第17回

◎ 秋の訪れ

 猛暑、残暑、そして今年は上陸すること九つ目の台風22号が去って、今日は朝からすぐにでも降り出しそうな曇り空だったが、昼過ぎからは音もなく雨が降りだして、ようやく秋らしい実感を 味わうことになった。先師の書を読み、今もひとつ難題に取り掛かっているが、夕暮れ近くになっ て辺りから聞こえてくる虫の音で考えが変わった。今回は「書から学ぶ」から少し離れて、秋を想 う詩歌を堪能することしたい。

 まだ若かった永井荷風こと永井壮吉が、父親である日本郵船横浜支店長の永井久一郎から逃れるようにアメリカに留学していた頃、エッセーや創作を出版社に送っていた。これを集めた作品に「あめりか物語」がある。日本の近代文学の先頭に立ちたいと願い、どうかしてフランスにも行って見たいと悶えている荷風にとって、正業に就かせるべく画策する父親は、目前に立ちはだかる大障壁であった。そんな或る日、家々では夕餉の支度が始まっているニューヨークの秋の夕暮れ、セントラルパークの静かな池のほとりにひとり腰をかけて、自らの行く末を思う心情が、「落葉」の稿に書かれている。荷風の思いを代弁するかのように本文に挿入したのが、「秋の歌」という有名なベルレーヌの次の詩である。

  『秋の胡弓(こきゅう)の咽び泣く、物憂(ものう)き響きわが胸を破る。鐘鳴れば、われ色青ざめて、吐(つ)く息重く、過ぎし昔を思い出でて泣く。薄倖の風に運ばれて、ここかしこ、われは彷徨(さまよう)落ち葉かな。』

 この詩には、永井荷風が約五年のアメリカ、フランスでの生活を終えて帰国した後、森鴎外の強い推薦で慶応義塾の文学部で教鞭をとった時に、三田文学の確立を願い、共に働いた荷風憧れの上田敏の名訳がある。このベルレーヌの「秋の歌」は、上田敏の訳では「落葉」と命名されている我らには馴染みの深いものである。

『秋の日のビィオロンのため息の
身にしみてひたぶるにうら悲し

鐘の音に胸ふたぎ色かえて涙ぐむ
過ぎし日の思い出や

げにわれはうらぶれてここかしこ
さだめなくとび散らふ落葉かな』

 定まらぬ将来に悶々とする荷風ならずとも、秋は人の心をうら悲しくさせ、胸を締め付けるような思いで満杯にしてしまうもの。何かにつけて思うように運ばないのが人生であり、心にわだかまる、こうした人生の負の部分を、理屈は抜きにして癒して欲しいと願うのが人の偽らざる心情ではないか。明日の糧になるのなら、こうした気分の中に浸り、暫くの間、酔っているのも悪くはないだろう。

  「秋の歌」の訳詩を上述のように、二つ並べて著したのは、実は佐藤春夫である。応援団子がこの詩を佐藤春夫著「美の世界・愛の世界」(1981年初版、旺文社文庫)の中で見つけ、読んでから随分と時間が経っている。久し振りにこの本の頁を開けると、佐藤春夫の解説には、「荷風の意訳した散文が上田敏の名訳の説明になる」とあった。

  漢詩の中からも秋の名調子を味わってみたい。中国は唐の後半の時代、「三体詩」に採られた九月九日の菊花の日を祝っている杜牧の詩を挙げる。この詩も村上哲見著「漢詩の名句・名吟」(1990年初印刷、講談社現代新書)で見つけて読んだ時、周囲の情景が見えてくるような気がした。ここでは村上哲見によるに翻訳の書体のものを掲げる。

『江(こう)は秋影を涵(ひた)して 雁 初めて飛ぶ
客と壺(こ)を携えて 翠微(すいび)に登る
塵世(じんせい) 口を開いて笑うに逢い難し
菊花(きっか) 須らく満頭に挿して帰るべし
但(た)だ 酩酊を将(もっ)て佳節に酬(むく)いん
用(もち)いざれ 登臨して落暉を怨むを
古往(こおう) 今来(こんらい) 只(た)だかくの如し
牛山(ぎゅうざん) 何ぞ必ずしも独(ひと)り衣(ころも)を沾(うるお)さん』

 漢詩には故事来歴に基づく表現が多いので、これを一つひとつ注釈していては手間がかかりすぎる。とはいえ「翠微」というのは翠微峰という名の山であり、「塵世口を開いて笑うに逢い難し」には、孔子が泥棒に説教をするところで、泥棒から「人間は煩わしいことや悲しいことが毎日のようにあって、口を開いて笑える日など、月のうち四,五回しかありはしないのだ」と言われて閉口してしまう故事からとったものであるとか、「牛山」というのにも、斉の景公が牛山に登って国見をしたときに、「美なる哉(かな)、この国や」と言った後、やがて死んでいく悲しさのために涙をハラハラと流した「牛山の嘆き」という故事がある。漢詩はこれらを説明しないと何のことか分らないと思う。その辺を加味して誠に恐縮千万ではあるが、下述のような応援団子の勝手な意訳を試みたが、大略は間違っていないように思う。

秋、河に影を映して、今年最初の雁が飛んできた。
客人と酒壺を持って山に登った。
汚れているこの世の中、口を開けて笑うことはめったにないね。
今日は菊の花を頭にいっぱい挿して、
菊花の佳き日を酩酊して祝おうではないか。
落日を見て嘆くなんて、そこいらの人がするようことは止めておこうよ。
昔も今も世の中の人はそんなものだよ。
人生の儚さなんて、独りで嘆いていても仕方がないではないか。』

 思えば哀しい世ではあるが、苦しいことばかりを言いつのるのではなく、親しい友と美味しい酒でも飲んで、秋の佳日を生きていることに感謝をして、互いに慰め励ましあうという心境であろう。現代でもこんな場面によく出会うように思い、杜牧を身近な人のように感じる。それにしても「塵世口を開いて笑うに逢い難し」というフレーズには、悟りというか、開き直りというか、最初にこれを読んだ時「これは実感だな」と、思わず声が出てしまった。

 秋の酒といえば、酒飲みにはたまらない「白玉の歯にしみとおる秋の夜の酒は静かに飲むべかりけり」の一句を残した北原白秋の処女詩集、「邪宗門」にある「風のあと」という短い詩が、上述の佐藤春夫の「美の世界・愛の世界」に紹介されているが、この詩から感じる秋は爽やかな秋である。

『夕日はなやかに
こほろぎ啼く
あはれ、ひと日、木の葉ちらし
吹き荒みたる風も落ちて、
夕日はなやかに
こほろぎ啼く』

如何であろうか。この詩には、疲れている心を爽快にする力があると思う。秋の嵐の後の澄み切った青空を、やがて夕
 日が茜色に染めていくとき、こおろぎが「リリ、リリ」と啼いている状景は、秋の夕暮れの爽やかさそのものではないか。
 もう二十年以上も前のことであるが、ある日、応援団子が仕事を終えてビルの外に出てきたときに、街行く人の顔も服も
 夕映えの中で輝いて見えたそのときに、この詩が自然に口から飛び出したことがあり、今も忘れられずにいる。

  もう一つ、働いた後の充実感を味わった「秋の詩」は、これももう十数年は経っているだろう、図書館の中でひょいと手にした臼井吉見著「文芸雑談」という本の中に、太平洋戦争前、越後の大関松三郎という少年が書いたという詩である。
 秋の夕日と仕事を終えた爽快さを見事に表現していると感動を覚え、手帳に写しておいたのである。久し振りに読み返し再写してみた。手帳にはその大関松三郎さんが、戦時中、十九歳にして南シナ海で没したとメモしてあった。

『夕日にむかって かえってくる
川からのてりかえしで
空の果てから果てまで もえている
道端の草も ちりちりもえ
ぼくたちのきものにも 夕日がうつりそうだ
いっちんち いねはこんで
こしまでぐなんぐなんつかれた
それでも夕日にむかって歩いていると
からだの中まで 夕日がしみこんできて
なんとなく こそばっこい
どこまでも歩いていきたいようだ
遠い夕日の中に うちがあるようだ
たのしいたのしい うちへかえっていくようだ
あの夕日の中へ かえっていくようだ
いっちんち よくはたらいたなあ』

 砂漠の中とは言わないけれど、世の中では、ただでさえ心の底まで乾いてしまうような出来事が続いているではないか。
 こんなとき、元気で生きていくためには、心を潤してくれるものがなければどうにもならない。それが詩であり、歌であり、唄であると思う。秋の一日、そんな気持ちで酔っている時間があっても好いと思う。(応援団A)

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