""
株式会社ハートウェア SI Visionの株式会社ハートウェア:「語りかけ、歩み寄る」タフに地道にハートワーク、フットワーク
""
株式会社ハートウェア:ホームへ
""
株式会社ハートウェア:会社情報
""
株式会社ハートウェア:サービス
""
株式会社ハートウェア:採用情報
""
株式会社ハートウェア:ハートウェア応援団
""
今月のハートウェア応援団
バックナンバー・気ままにご挨拶
バックナンバー・読書に乾杯! 
バックナンバー・恥かき読書
バックナンバー・エッセイ
 
""
株式会社ハートウェア:リンク集
""
株式会社ハートウェア:社長の一言バックナンバー
SI Visionの株式会社ハートウェア
 
""
株式会社ハートウェア:ハートウェア応援団・気ままにご挨拶
""

           司馬遼太郎没後20年      (平成28年3月)

 司馬遼太郎さんが亡くなられて20年が過ぎました。平成7年1月、京阪神、淡路地区を襲った阪神大震災、その翌年の平成8年2月、連載中のお仕事を抱えつつ、司馬さんは腹部動脈瘤が破れて入院、72歳の若さで亡くなられました。あれからもう20年、当時は多くの司馬遼太郎ファンが悲しみにくれましたが、ほかならぬ応援団子もその一人でありました。そして丁度、第二のサラリーマン人生を迎えて、神戸に単身赴任をしたばかりのときでしたから、時代の移り変わりをしみじみ味わっておりました。

 昭和40年代は応援団子には壮年期、読書に熱中した時期でした。司馬遼太郎作品の「竜馬がゆく」、「国盗り物語」、「坂の上の雲」、「世に棲む日々」、「花神」を読み、勇気づけられました。翌日が休みだといえば、明け方まで読み耽っておりました。更に「峠」、「翔ぶが如く」、「殉死」、「ひとびとの蛩音」、「項羽と劉邦」と読み進み、随筆では「街道を行く」、「ロシアについて」、「アメリカ素描」から「風塵抄」、「この国のかたち」まで、もう今では記憶の向こうに消えていった本もありますが、勉強させていただきました。

 司馬遼太郎本の面白さは、その本の中で、主人公たちが生き生きと踊るが如く活躍してくれます。しかも主人公たちの置かれている時代、その当時の共通価値観や主人公たち独特の思考過程、庶民の風習、そして主人公たちの長所だけでなく、癖というか弱点までも知らしめてくれることです。読者にとって嬉しいのは、その上で、主人公たちの行動やその規範について精緻に説明を加えてくれ、主人公たちの成功の喜びだけでなく、失敗やその後の展開についてまでも描き切ってくれることです。

 読者にとって、自分が「出来るかどうか」は、あるいは「出来たかどうか」はともかくとして、正確な実情を把握する情報収集力の大切さ、収集した情報に対する洞察力、判断の柔軟性、即時対応性、そして主人公たちの得た結果を通して、ことの成否の何たるかを示唆してくれます。一つの例題を乃木希典大将の生涯を書いた小説「殉死」をあげて考察してみますと、冒頭のところで乃木希典が10歳まで生まれ育った、麻布にある長府長屋の歴史や由来から説明が始まります。

 そしてこの長屋に預けられた元赤穂義士の武林唯七ほか数名の切腹のこと、その経緯などを希典が聞かされたのではないかと想像し、子供心にも立派な唯七の切腹場面を頭脳に刻み付けたのではないかと書きます。かくして乃木大将の日清戦争から日露戦争に至る経緯が詳細に記され、乃木将軍が終生持っていた武士あるいは軍人の「死」の美学に、希典は心酔していたのではないかとの推測のもとに、小説は展開していきます。その微に入り細に亘る説明は、著者の乃木希典観も併せて読者に語りかけます。

 ただここでは、「殉死」の詳細は省略させていただいて、末尾の部分に書かれた生前の乃木希典の日常座談の紹介をします。それは「電車に乗っていると、すわろうとおもって、そのつもりで鵜の目鷹の目で座席をねらって入ってくる。ところがそういう者はすわれないで、ふらりと入ってきた者が席をとってしまう。これが世の中の運、不運というものだ」というものですが、さらにその後、「希典自身、自分の一生を暗い不運なものとして感じていたらしいが、これはどうであろう」と結ばれています。

 明治天皇薨逝の後を追われた乃木大将ご夫妻の殉死、その決断に際しての乃木大将の頭の中を去来した「死」に対する美学とは別に、死後の乃木家の状況のことであり、すでに日露戦争で子息を亡くしている静子夫人への思いでもありました。また夫人の方は、乃木さんの考えとは別に、細々とした家事の後始末を残る人に託さねばなりません。ただ静子夫人はこれも伝えないままに、夫と共に殉死しました。応援団子の読書はここに至り、「死」というものを極めて身近に感じた一瞬でありました。

 平成5年10月に「十六の話」というエッセー集が中央公論新社発刊されています。司馬さんが永く付き合われた中央公論社の山形真功氏の企画で生まれたこの本は、16編の話から編集されているので、司馬さんが「十六の話」と命名した本です。この中の最終編は「二十一世紀に生きる君たちへ」と題するもので、平成1年5月、小学校6年下用の国語教科書として書かれたとの説明が、巻末尾の「初出一覧」にあります。「歴史小説家として歴史を両親を愛するように愛している」と、明解な文章で始まる一文です。

 今回は、この「二十一世紀に生きる君たちへ」を紹介させていただいて、ペンを擱くことにしますが、応援団子如きが言うのはおこがましいですが、流石に司馬さんです。小学校6年生の諸君が大切にしなければならないことを、文章の随所にちりばめておられます。前述の「両親を愛すること」を初めとして「友人の大切なこと」、「自然こそ不変の価値であること」、そして20世紀は、不遜にも人間の思い上がって考えが頭をもたげ、「自然へのおそれがうすくなった時代」と警鐘を鳴らされています。

 また一方には、「人間は自然の一部に過ぎない」という賢明な考え方の人も居て、自然に対して威張りかえっていた時代は、21世紀が近づくにつれて終わっていくに違いないとも書かれています。嘗て中世の人々が考えた「人間は、自分で生きているのではなく、大きな存在によって生かされている」という謙虚な考え方を、再び取り戻しつつあるのではないかと。そしてこうした自然に対する素直な心を、若い君たちが持ち合って、さらに全世界の人たちに広めていって欲しいという訳です。

 司馬さんは、小さな原始社会から自然の中で育ってきた人間が、大社会を構築するようになり、国、世界、国際という機構の中で、今は互いに助け合いながら生きていく大切さを学んできたと言います。「自然物としての人間は、決して孤立しては生きているようには造られていない」という訳です。「いたわり」、「他人の痛みを感じること」、「やさしさ」という三つの言葉がここから生まれ、その根っこは「友だちが転んだ、ああ痛かっただろうな」と感じる気持ちを、その都度、自分の中で大切にすることにあると教えます。

 司馬さんは更に付け加えて、鎌倉武士が大切にした「頼もしさ」について触れます。「自分に厳しく、相手には優しく」、「自己を確立すること」は、日頃の訓練を積み上げで完成させるもので、そこに「頼もしさ」は生まれてくると教えています。21世紀に入り既に15年余、この一文の中でも、そのときはもう自分はここに居ないだろうと、司馬さんは書かれています。事実そのようになりました。21世紀の今、小学生ならずとも、この司馬さんの言葉には元気がいただけるし、勇気づけられるのではないでしょうか。

 この一文の発表後に、日本は阪神大震災のみならず東日本大震災にも遭遇しました。科学の結晶と言われたものの脆弱さを、日本人は自然から叩きつけられました。これまでの傲りを悔いる人も多かったと思います。世界各国から多くの支援をいただき、日本人同士も助け合いました。今なお、東日本大震災の残務は山積しています。何度も何度も司馬さんのこの一文を読み返しております。 (応援団子A)

  


このページのTOPへ▲
<<気ままにご挨拶・28年2月へ 気ままにご挨拶・28年4月へ>>


Copyright 2005-2006 HEARTWARE Co. All Rights Reserved.