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        二宮尊徳の言葉      (平成27年11月)

 今から8年前、平成19年2月の「気ままにご挨拶」で、二宮金次郎について触れたことがあります。丁度その頃、東国原さんが宮崎県知事に就任されたことについて書かせていただきました。ただこのときは、二宮尊徳翁の言う「むやみに金銭を与えたり、税金を免除したりするような施策では、人をどん欲にし、怠け者に向かわせてしまうだけで、勤勉に働いて自立し、国を富ませる人にはならない」という言葉を参照させていただいたことと、戦後、日本の教育界は、二宮金次郎の訓えを子供たちに伝えなくなったことを書きました。このところ世の中には、企業という単位でも、個人的な事情からも、自己中心的、かつ近視眼的な考えに基づく悪事がはびこり、マスコミをにぎわしているように思えてなりません。もう一度、二宮尊徳翁の訓えについて採り上げたいと思います。

 先ずは二宮尊徳翁の次の言葉を聞いて下さい。「国家の盛衰存亡は、おのおの利を争うの甚だしきにあり。富者は足ることを知らず。世を救う心なく、有るが上にも願い求めて己が勝手のみを工夫し、天恩も知らず国恩も思わず、貧者はまた何をかして己を利せんと思えども、工夫あらざれば、村費の納べきをとどこおり、作徳の出すべきを出さず、借りたるものを返さず、貧富共に義を忘れ、願いても祈りても、出来がたき工夫のみをして利を争う」というものです。如何でしょうか。新聞やテレビで日々採り上げられている悪事の一面を見るような気がしないでしょうか。

 二宮尊徳翁は、自分自身だけの利益を思い、それを満たそうとする人間の欲望には限度がなく、ある程度の富を得たとしても、さらに己の欲望を満たそうとして、自分勝手な工夫を始めることを指摘しています。こうした態度の人が居ると、必ず周囲の人たちにも邪心は蔓延していき、人々から笑顔を奪い、ぎすぎすした公共心を忘れた社会をつくり上げていると予告しています。最近のテレビニュースを観て、「またか」と思うような悪事は必ずこの類の出来事ではないでしょうか。過日、書棚の二宮尊徳翁の本が目に留まりました。瞬間、「そうだ、今度の『気ままにご挨拶』は、二宮尊徳翁を書かせていただこう」と、応援団子は思いました。書き始めると少し長くなるかも知れませんが、どうぞお付き合い下さいますようお願い致します。

 二宮尊徳翁が上述してきたように「勤勉こそが、人間自立の基本」という考え方を持つに至った背景には、どんな意識づけというか、体験をしたのでしょうか。これを知るためには二宮尊徳翁の育ってきた当時の社会環境、そして暮らし向きがどのような状況にあったかを調べる必要があると思います。二宮尊徳翁は農業に携わる両親のもと、天命7年(1878年)に長男として、現在の小田原市郊外に生まれたようです。そのとき二宮家の本家は、絶家しており、父は分家のさらに分家という家柄であったようです。また尊徳翁の生まれた年は、諸国が大飢饉に見舞われた年であったことが歴史年表に見ることが出来ます。耕す農地は酒匂川流域にあり、この川が氾濫する災難にも何度か見舞われるという厳しい生活環境であったと言われております。

 こうした環境に負けることなく懸命に一家を支えていた父でしたが、尊徳翁の14歳のときに亡くなり、母と苦労をして一家を切り盛りしていました。ところは、2年後の16歳のときに、今度は母も亡くしてしまいました。この切羽詰った厳しい環境の中を、尊徳翁は挫けることなく、難事の一つ一つに立ち向かう気概と方法を習得していきました。後に「積小為大」(小さいことを積み上げて大を為す)、「推譲積徳」(他の人を立てて自らは徳を積む)という行動指針を体得したのも、こうした苦労からの実学の成果であったと言っても良いのでしょう。

 尊徳翁の語録を纏めた新講「二宮尊徳夜話」には次のように書かれています。「大事を為さんと欲せば、小さなる事を怠らず勤むべし。小積もりて大となればなり。凡そ小人の常、大なる事を欲して小なる事を怠り、出来がたきことを憂いて出来易き事を勤めず。それ故ついに大なる事をなすこと能わず。それ大は小を積んで大となる事を知らぬ故なり。譬えば百万石の米と雖も粒の大なるにあらず。万町の田を耕すもその業は一鍬ごとの功にあり」
と。弟、妹を養いながら尊徳翁は、自分の出来ることを、ただただ勤勉に勤めることで、苦難を乗り越え、やがては絶家した二宮本家を再建するに至ったのです。

 あるときは、氾濫した酒匂川の堤防を修復する作業をするにあたって、まだまだ年少であったため尊徳翁は、大人に混じって作業をするのですが、壮年の男たちのように仕事をすることが出来ませんでした。日が暮れて一日の作業を終え、夜になると尊徳翁は草鞋を編みました。翌日、大人たちが仕事で草鞋を履き潰したときに、この草鞋を使ってもらうことで、自分の仕事の劣る部分を返すつもりでの行動でした。自分の力を知ること、自分の勤めをわきまえること。尊徳翁はこれに徹したのでした。

 今回はこの辺りで擱筆しますが、尊徳翁が実学によって蓄積した二宮哲学と言っても良い行動規範なるもの、そして実際に世に遺された偉業には、今なお現代に生きる私たちが学ばねばならないところが、多々あるのではないかと思います。次回に続けます。
                             (応援団子A)

 参考文献 黒岩一郎著 新講「二宮尊徳夜話」
      内村鑑三著 「代表的日本人」

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