""
株式会社ハートウェア SI Visionの株式会社ハートウェア:「語りかけ、歩み寄る」タフに地道にハートワーク、フットワーク
""
株式会社ハートウェア:ホームへ
""
株式会社ハートウェア:会社情報
""
株式会社ハートウェア:サービス
""
株式会社ハートウェア:採用情報
""
株式会社ハートウェア:ハートウェア応援団
""
今月のハートウェア応援団
バックナンバー・気ままにご挨拶
バックナンバー・読書に乾杯! 
バックナンバー・恥かき読書
バックナンバー・エッセイ
 
""
株式会社ハートウェア:リンク集
""
株式会社ハートウェア:社長の一言バックナンバー
SI Visionの株式会社ハートウェア
 
""
株式会社ハートウェア:ハートウェア応援団・気ままにご挨拶
""

芭蕉のこと (平成26年 9月)

 芭蕉が「奥の細道」の旅を終えたのは、同行した曽良の日記によると、元禄2年 (1689年)9月3日で、 終着地は岐阜の大垣でした。 その最終章には「大勢の門人が出迎えてくれて、無事を喜び、長旅の労をねぎらってくれたので、生き返ってきたような気がしました」と記しますが、すぐその後に「旅の疲れもまだとれない9月6日には、伊勢の遷宮を拝まんと、また船に乗りました」とあり、「蛤のふた身にわかれ行く秋ぞ」の句で、その最終章を締めくくっています。芭蕉46歳の秋のことです。

 芭蕉は41歳のとき、死を覚悟した最初の旅に出ます。世に言う「野ざらし紀行」の旅ですが、その後「鹿島紀行」、「笈の小文」、「更科紀行」、「奥の細道」と、まさに旅を棲家として以後の5年間は旅を続けました。「奥の細道」の長い旅の後、上述のように伊勢神宮の遷宮を参拝、今度は伊賀上野の生家に兄を訪ねています。さらに奈良、京、滋賀、と、住居を移しながら江戸で待つ門人の心配をよそに、2年間は上方に滞在しました。新しい芭蕉門下の俳諧を模索し、連日のように上方の俳人との句会に傾注しました。

 芭蕉はこの間に、上方の新しい門人たちと俳諧撰集「猿蓑」、「ひさご」を編み、元禄4年には出版することになりますが、この頃の芭蕉の頭の中を占めていたのが、俳諧の「不易流行」です。世には時勢があって新しい傾向に流れていきますが、その中にも変わらない不変のものがあります。かくして俳諧もこの「不易流行」の均衡の上に、成長し続けていくべきものであることを言います。芭蕉にとっては、古びて停滞していくだけの俳諧には耐え難く、新しい門人たちによる新しい俳諧で芭蕉門下を繁栄させようとしました。

 門人の向井去来は、自らの『去来抄』の中に「蕉門に千載不易の句、一時流行の句と云うあり。其元は一つなり。不易を知らざればその基たちがたく、流行を知らざれば風新たならず。不易は古によろしく、後に叶ふ句なる故、千載不易といふ。流行は一時一時の変にして、昨日の風、今日宜しからず、今日の風、明日に用ひがたき故、一時流行とはいふ」と書き遺しています。この言葉の裏には、「俳諧での流行は、流行でありながらも読者に伝える『不変の詩情、不変の俳情』に貫かれているものだ」と言っているのでしょう。

 話は変わりますが、「不易流行」は、何も俳句の世界だけに限った話ではないと
思っています。私たちがこれまで追求してきた「ITシステムの世界」も、50年前の大型電子計算機の時代から、中、小型電子計算機の時代を経て、今日のパソコン、スマートフォンの時代に至るまで、あるいは、今後もこれに付随した高能率の制御装置や記憶装置など新たなIT機器の出現により、柔軟な社会システムを構築していくでしょう。しかし、その根底には古から不変の人間尊重、礼節尊重の社会システムが、構築されていなければならないと思います。

 創業25周年を迎えた株式会社ハートウェアをお祝いするとともに、今後の更なるご発展を願うとき、社員の皆さまには、今一度、社名の「ハートウェア」に込められ
た意味を思い起こす絶好の機会であると思います。そして来るべき25年に向けての出発にしなければなりません。芭蕉の「不易流行」に事寄せ、書かせていただきました。
                               (応援団子A)

このページのTOPへ▲
<<気ままにご挨拶・26年 7月へ 気ままにご挨拶・26年11月へ>>


Copyright 2005-2006 HEARTWARE Co. All Rights Reserved.