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映画「蜩の記」 (平成26年11月)

 気まぐれな雨が降る晩秋の一日、久し振りに映画を観に行きました。直木賞受賞の葉室麟原作「蜩の記」が映画化され、メル友の間では評判になっていましたし、今、隣町の映画館で上映されていると聞いて、「これは見逃せないな」と思い立った次第です。この映画の監督が小泉堯史であることも、応援団子の興味を覚える要因でした。映画館に行くと、「上映は午後1時10分からです」とのこと。それではと、すぐ近くのカフェで軽い昼食をとり待つことにしました。

 いよいよ映画が始まりますと、檀野庄三郎という若侍が城内の御用部屋で、ご同輩ともども執務をしているところが映し出されます。原作の出だしとは違うなと思いつつ、雨の日の御用部屋の様子を観ていますと、そこに一陣の風が吹いて来て、檀野庄三郎の墨が隣席の同輩、水上信吾の顔と上着に付いている家紋を汚してしまいました。信吾と庄三郎は極めて親しい間柄であるのですが、家紋を墨で汚されたことに立腹した信吾が、庄三郎に斬りつけるという事件を起こし、結果的には逆に庄三郎が信吾の足を傷つけてしまいます。

 城内での抜刀という不祥事は、普通なら切腹を免れませんが、相手の水上信吾が家老の甥にあたる関係で、この事件は内密に諮られることになり、庄三郎に命じられた刑罰は、これまた罪人として10年間の幽閉、その間、羽根藩藩主三浦家の歴史「三浦家譜」を纏めることを命じられ、さらに「三浦家譜」の完成の暁には、切腹の刑が決まっている戸田秋谷を監視するというものでした。この戸田秋谷の罪の真実に、実は先々代の藩主三浦家と家老職を務めて来た中根家の秘密が隠されています。

 戸田秋谷が三浦家譜を纏める仕事が進むにつれて、先代家老の中根太蔵の陰謀が明確になってきます。たとえ自分自身ではなく、先代の悪行とはいえ、真実が表面化すれは、現職の家老中根兵右衛門は困窮します。戸田秋谷の書く三浦家譜の内容次第では、中根家老が後に藩主に知らせず改竄することも十分に考えられます。檀野庄三郎は戸田秋谷と生活を共にし、秋谷の調査した三浦家譜を庄三郎が写し取るという作業を進めるに従い、監視する筈であった秋谷の人間性に、庄三郎は次第に魅かれていきます。

 庄三郎は秋谷一家と生活を共にしている間に、上司から聞かされてきた「秋谷の藩主側室との密通並びに小姓の殺害」という罪状が、全く別人の仕業のように感じられ、無理やりに罪を押し付けられたものであることを確信していきます。戸田家長子の郁太郎や息女の薫と秋谷の助命の方策を考えることになります。秋谷はそうした動きには目もくれず、ここまですでに7年余を費やしてきたこの作業です。亡くなった藩主との約束を果たすべく、残りの時間に完成させようと集中しています。

ただ紙面の都合上、この物語をこれ以上続ける訳には参りません。もう一つだけ、秋谷が嘗て郡奉行を勤めていたこともあって、今、村人の相談に乗っていることを書き加えておきます。秋谷は農民生活の苦しさを理解していて、今も幽閉されている村の農民が、無理難題を強いる見回り役人に対して、暴発しそうになっていることを知り、我慢するように諌めている最中に事件が起こります。この後は、是非とも映画をご覧になるか、原作を読んでいただくことをお勧めして、応援団子がこの映画から感じたことを申し上げます。

 映画を観た後で気がついたのですが、この映画は、檀野庄三郎という若い武士の目を通して戸田秋谷を見詰め、その魅力にいよいよ魅かれていくように出来上がっています。そして秋谷の生涯を貫いている精神が、嘗て多くの日本人が大切にしてきた「苦しいときの忍耐」とか「集団の中での謙虚さ」とか「駆使させる活きた知恵」という日本人の行動規範と言いますか、備えてきた美徳にあることを気づかされます。古から日本人が培ってきた「心」そのものではないでしょうか。

 現代の私たちには、この映画で観るような権力を笠に着た不良役人が、暴力をふるって直接いじめに来るようなことはまずありません。少なくとも日本では、今は聞かなくなりました。ただ、たとえ映画でも、このような光景を目の当たりにすると、抑えるのが難しいくらい燃え上がる憤りを覚えます。この怒りの根源は、実は上述したような日本人の細胞に刻み込まれた遺伝子が働き出しているからだと思うのです。映画の中では、農民はひそかに不良役人を殺害するという手段に出てしまい、事件が起こるのですが・・・。

 事件の対応に、切腹を前にした戸田秋谷が活躍して、収拾策を見事に果たします。秋谷の考え抜いた判断力と行動力を、庄三郎は目の当たりにします。秋谷の「考え抜く」という、人間に与えられた能力の駆使することの大切さを思い知らされます。私たちの日常では、知りえた情報が全てという安易な考え方をしてはいないでしょうか。検索サイトに依存し過ぎてはいないでしょうか。本来、自分が考えなければならないことまで、情報資料に丸投げになっていることはないでしょうか。

 自分の頭脳で問題の本質を考え抜くこと。その結果、期待されている行動を素早く実行すること。こうした一連の習慣を地道に繰り返すことの大切さを学んだ映画でありました。映画が終わって外に出て来た時には、雨も止んで明るく、青空さえ出ておりました。何か気分が晴れ晴れとして、道が開けていくような錯覚を覚えました。良い映画を観たと思い、是非ともお伝えしたくなりました。(応援団子A)

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