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織田作之助生誕100年のこと (平成25年12月)

 今年は台風の大量発生の年でした。そして、一年を通して何かと異常気象に悩まされた年でもありました。ハートウェア応援団をご高覧いただいております皆様はじめご親族やお知り合いの方が、豪雨や土砂崩れ、あるいは竜巻の被害に遭われるということはなかったでしょうか。 改めましてお見舞い申し上げます。短い秋の後、早や12月を迎え、一気に寒い冬がやって来た感があります。どうぞお風邪などを召されないように、お元気に年末年始をお過ごしになられますようお祈り申し上げます。

 今春には、もう少し頻繁に「読書に乾杯!」を書くつもりをしておりましたのに、12月を迎えて、結局は織田作之助の生誕100年を念頭に置きました著作「夫婦善哉」を紹介しただけで、「次に書く」と予告申し上げています葉室麟著「恋しぐれ」は、未だに原稿が仕上がりません。このままでは誠に不甲斐ない一年になってしまいます。ただ、織田作之助を採り上げましたことで、この原稿を読んでいただいた大阪の岩佐様から、「織田作之助と大大阪展」が開催されたことや、期間中のいろいろな情報をいただきました。 

 上述の企画展覧会は、岩佐様も運営者のお一人としてご活躍されたオダサク倶楽部の主催で、9月下旬から10月中旬まで、大阪歴史博物館にて開催され、多くのお客様が集まられたようでした。残念ながら応援団子は、大阪まで行くことは出来ませんでしたが、いただいた情報の中で、飛び切り興味を惹かれた話題は、応援団子の原稿にも書きました法善寺横丁の老舗ぜんざい屋「夫婦善哉」の店頭に置かれていた「お多やん」こと「お多福人形」が、多くの方々のご尽力もあってのことではありますが、「大大阪展」で久方ぶりに大阪に里帰りを果たしたことでした。

 上述の「お多やん」を検索サイトで探していましたら、マイクロソフトと産経デジタルが共同運営をしているニュースサイト、MSN産経westの北村博子さんの記事に出会いました。久しぶりに大阪に帰って来た「お多やん」のこれまでの経緯が、見事に書かれていますので下述致します。

 法善寺横丁のぜんざい屋「夫婦善哉」は、明治16年に木文字重兵衛さんが開業した老舗です。お店の看板娘として、高さ60aの木像で、江戸中期の作品といわれる「お多福人形」を、商売繁盛を願って当時のお金で大枚千円も出して購入し、「お多やん」と命名して店に飾りました。以後「お多やん」は、三代にわたってお店に君臨していましたが、ぜんざい屋は、昭和19年まで踏ん張ったものの太平洋戦争の苦難の中で閉店、「お多やん」も骨董屋に売られていく運命となりました。

 その後の「お多やん」の運命は不明ですが、昭和47年頃に河豚料理店「太政」の創業者である青柳政二さんによって引き取られました。青柳さんは昭和58年に私財を投じて富山県朝日町に「百河豚古美術館」を設立し、ここに「お多やん」は、落ち着き場所を見つけていたのでした。今回、大阪で上述の「大大阪展」が開催されることで、オダサク倶楽部の皆様の要請に応えて、古美術館長の岸岡理事長さんも「お多やん」を大阪に向かわせたのです。それにしても富山に「お多やん」が居たとは、これも何かのご縁でしょう。

 これはまた、企画好きと言われた早世の作家織田作之助が、平成のご時世になって演じた趣向であったかも知れません。心温まる思いをさせていただきました。岩佐様には多くの情報を寄せていただき有難うございました。     (応援団子A)


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