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川崎尚之助(かわさきしょうのすけ)のこと (平成25年11月)

 NHK大河ドラマ「八重の桜」も、このところ新島襄とその妻八重の同志社大学草創期における苦難の様子が描かれ、いよいよ終盤に近づいてきた感があります。今月の「気ままにご挨拶」は、この連続ドラマに関係していることで、応援団子の友人であります川崎さんの身に起こった数奇な運命といいますか、ご先祖様とのご縁といいますか、ちょっと不思議なお話をご披露したいと思います。
 
 ことの発端は、昨秋の東京兵庫県人会総会の席で、友人の川崎さんから「僕の先祖がテレビに出ます」と伺ったことから始まりました。そのときはただ、「川崎さんがテレビの何か企画番組にでも出演するのかな」くらいにしか思わず、すぐに忘れていました。ところが年末になって、今度は「お正月休みには、この本を読んで下さい」と、あさくらゆう著「川崎尚之助と八重」という題名の本が川崎さんの手紙付で送られてきました。

 その手紙には、著者のあさくらゆうさんが、歴史家としての綿密な取材で、川崎さんが川崎尚之助の末裔であることを突き止められたこと。来年始まるNHK大河ドラマ「八重の桜」には、八重の最初の夫として川崎尚之助が登場することなど、その経緯と概略が書かれていました。「そうか、川崎さんのご先祖が、テレビに出ると言われたのはこのことだったのか」ということが判りました。

 著書「川崎尚之助と八重」には、「一途に生きた男の生涯」という副題も付いていて、本を読み進むにつれ、歴史研究家のあさくらさんが、このテレビドラマの前半を彩る川崎尚之助について、福島県の会津にも、兵庫県の出石にも、自ら何度も足を運んで丹念に史料を調査されたことが判明します。そして、その末裔としての我が友人の川崎さんが、あさくらさんの要請に応じ、行動を共にして、川崎尚之助がご自身の先祖であることを、突止められたのでした。

 この大河ドラマについても、著作についても、ここでは詳細を申し上げませんが、幕末のこととはいえ、出石藩士の川崎尚之助が会津藩士である山本覚馬の招聘で、会津藩藩校の砲術教授として迎えられ、覚馬が八重の実兄であったことから、二人は結婚までするのですが、幕末の動乱期のことです。会津藩は官軍の前に落城、二人は生き別れになってしまい、その後、二人は逢うことはなかったようです。二人が疎遠にならねばならなかった理由は、本著の最終章に明確に書かれています。

 応援団子がここで採り上げたかったのは、会津藩崩壊後の川崎尚之助の消息です。つまり本著の最終章に記載されていることです。川崎尚之助は会津藩の運命と共にしていきました。会津藩は徳川体制の崩壊と共に、罰せられて青森下北半島の端に斗南藩として、明治三年にようやく生き延びる道に到達することが出来ます。そして川崎尚之助は藩の食糧を確保するために「開産掛り」として函館に赴むくことになります。

 ところが、同藩の米座と名乗る男に騙されるのです。デンマーク商人デュースと折衝して、広東米と交換に斗南藩で大豆を育て、それを引き渡すことを前提として広東米を入手する契約をしました。決済は斗南藩の手形を発行することでした。その手形を米座は着服し、イギリスの商社であるブラキストン商会で、二百五十両に換金して逃亡してしまったのです。尚之助はこのことで、デンマーク商人のデュースから訴えられます。窮地に追い込まれた尚之助は、斗南藩士としてではなく、個人の罪としてこれを被り、裁判に立って罰を受けることになります。

 その後は、自分が嘗て会津藩士であったこと、八重の夫であったことも戸籍の上からは消去してしまいます。明治四年には廃藩置県が実施され、戸籍なども個人の都合の良いように書き換えられたこともあったようです。残っている川崎尚之助の史料にも、八重と結婚していた事実の形跡は消去されてしまいました。「これは川崎尚之助が、八重の方に迷惑がかからないように、消されているとしか思えない」と、あさくらさんも書いています。

 かくして川崎尚之助は、元来が出石藩出身ということもあり、会津藩籍からも全く消えてしまって、歴史の闇に沈んでしまっていました。今回、著者あさくらさんの執拗とも思える追跡で、川崎尚之助の苦難の終焉が明白になりました。友人の川崎さんもあさくらさんと一緒に、その顛末をご自身の問題として捉え、実は東京兵庫県人会の五月セミナーであさくらさんの講演という形で蘇えり、応援団子もこれを拝聴しました。

 嬉しいことに出石藩といいますか、現在では地元にある香住鶴(株)では、今回のことを契機にして「尚之助」という銘酒を醸造し販売を開始しています。また会津では、地元の末廣酒造(株)が、「八重さん」という銘柄のお酒を、すでに販売されているようですし、驚いたことに香住鶴(株)の社長さんと末廣酒造(株)の社長さんは、若いときに新人研修会で意気投合して以来、ずっと交友関係を持続されている仲良しであることも判明したと、川崎さんの手記にあります。

 今年になって、川崎さんとあさくらさんは、ご一緒に会津から招待を受けて訪問し、本来ならば慰労されなければならない川崎尚之助に代り、歓待を受けてきましたと、この間お会いしたときに、にこやかな笑顔で話しておられました。さらに川崎さんは、川崎尚之助の取り持つ縁で、交際の範囲が増えてきたと仰っていました。叶うことならこの冬は、銘酒「尚之助」と「八重さん」の酒瓶を並べ、お二人の数奇な運命を偲びながら、静かにこの美酒を賞味してみたいものです。

                               (応援団子A)


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