""
株式会社ハートウェア SI Visionの株式会社ハートウェア:「語りかけ、歩み寄る」タフに地道にハートワーク、フットワーク
""
株式会社ハートウェア:ホームへ
""
株式会社ハートウェア:会社情報
""
株式会社ハートウェア:サービス
""
株式会社ハートウェア:採用情報
""
株式会社ハートウェア:ハートウェア応援団
""
今月のハートウェア応援団
バックナンバー・気ままにご挨拶
バックナンバー・読書に乾杯! 
バックナンバー・恥かき読書
バックナンバー・エッセイ
 
""
株式会社ハートウェア:リンク集
""
株式会社ハートウェア:社長の一言バックナンバー
SI Visionの株式会社ハートウェア
 
""
株式会社ハートウェア:ハートウェア応援団・気ままにご挨拶
""

小さい秋みつけた (平成25年10月)

 ラジオをつけっぱなしにして寝る習慣がついてもう随分になります。番組は主としてNHK放送の「ラジオ深夜便」を聴いています。ニュースやインタビュー番組のつなぎの合間に流れてくる音楽に、この季節に相応しい童謡唱歌、サトーハチロー作詞、中田喜直作曲の「小さい秋見つけた」がありますが、これは応援団子の好きな歌の一つです。ボニージャックスやダークダックスによる合唱を聴いていますと、懐かしさというか、愛おしさがこみあげてきて、たまらなく胸が熱くなります。

 皆さまもご承知のようにこの歌は三番まであり、その冒頭のいずれもが、「だれかさんが だれかさんが だれかさんが見つけた 小さい秋 小さい秋 小さい秋見つけた」で始まります。応援団子は「だれかさん」とは、この歌を聴いている側の人のことであり、「小さい秋」とは、つい見過ごしてしまいそうな初秋の一瞬を捉えることだと、長い間思い続けていました。そして、エンディングの「小さい秋 小さい秋 小さい秋見つけた」ということで、納得させようとしたのだと思っていました。

 ここに「小さい秋見つけた」の一番から三番まで、上述の冒頭と最終のフレーズを除いた部分のみを下述してみます。

  一、 めかくし鬼さん手のなる方へ 
     すましたお耳にかすかにしみた
     呼んでる口ぶえもずの声

  二、 おへやは北向きくもりのガラス
     うつろな目のいろとかしたミルク
     わずかなすきから秋の風

  三、 むかしむかしの風見の鶏の
     ぼやけたとさかにはぜの葉ひとつ
     はぜの葉赤くて入日いろ

 如何でしょうか。歌詞をよく読みますと、これまで思ってきたことが違っているように応援団子は感じ出しました。例えば一番の歌詞をみますと、「めかくし鬼さんが耳を澄まして聞いた」とあります。ということは、この「だれかさん」は、自分も一緒に鬼ごっこをしているのでしょうか。「だれかさん」には、手のなる音ではなくて「口笛のようなもずの声」が、耳にしみてきたというのですから、これはきっと、鬼ごっこの様子をどこか別の場所に居て、耳を澄まして聞いている情景ではないかと推察したのです。

 二番の歌詞になりますと「おへやは北向きでくもりのガラス」とあり、「だれかさん」の居る場所が、見えないくもりガラスで閉じられた北向きの部屋で、耳を澄ましているのは、そこにいる「だれかさん」であることが明確になってきます。そしてその「だれかさん」は、うつろな目をしていて、ミルクを溶かしたような先の見えないくもりガラスを見つめています。「だれかさん」は、どうやら病で臥せっているのではないでしょうか。この時代の北向きの部屋にいる病人の病名は結核だったそうです。

 この歌詞を書いたサトーハチローは、幼い頃に結核に罹ったことはありませんが、病弱な子供であったようです。その後、ご両親が離婚して母が家を出て、その所為で生活が荒み中学校を退学、小笠原父島の感化院に送られるなど、波乱万丈の不良少年時代を送っています。ただ、父島では父佐藤紅緑の弟子にあたる福士幸次郎から詩を学んだことが、後々に詩の世界で大作を生む出発となりました。そして戦前にも数々の名作を生んでいますが、昭和29年に「小さい秋見つけた」は作られています。

 サトーハチローは、この歌詩を「布団の上で腹這いになって書いた」という記録があるようですが、51歳、初老のハチローが腹這いになって、窓から見える赤いはぜの葉を見ながら、幼児の頃の病床のことや、後述するように母が連れて行ってくれた教会の風見鶏と母のことを思い出したのでしょう。つまり「だれかさん」は、サトーハチローご本人のことだったのです。そして「小さい秋」は、サトーハチローの心象風景としての切ない秋であったのだと思われます。

 三番の歌詞「むかしむかしの風見の鶏」は、母に連れられてよく行った教会の風見鶏であると言われています。その風見鶏のとさかにひっかかったはぜの葉から、秋の夕日の中に立つ心の母を連想したのだと思います。心の中の母と言いますのは、ハチローにとって幼児の頃に優しく看病してくれた母と、 自分を捨てて出て行った母の ギャップがどうしても埋められなかったのではないでしょうか。歌詞の二番と三番から読み取られるのは、ハチローが心に描く母を、幼い頃の記憶にある風景から透かし見ようとしたことだと思うのです。

 サトーハチローは、自分の作詞した歌の作曲を、中田喜直に依頼することが多かったと聞きました。 中田喜直のメロディは、 きっとハチローの心の母に届くメロディだったのでしょう。野球の得意だったサトーハチロー、NHKの昔の番組「話の泉」に登場したユーモア溢れるサトーハチローに、こんな一面もあったのですね。サトーハチローは昭和48年、70歳で亡くなりました。如何でしょうか、今夜は静かな部屋で「小さい秋見つけた」を、お聞きいただければ嬉しいです。

                               (応援団子A)
 

このページのTOPへ▲
<<気ままにご挨拶・25年 9月へ 気ままにご挨拶・25年11月へ>>


Copyright 2005-2006 HEARTWARE Co. All Rights Reserved.