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夏目漱石の猫 (平成25年8月)

 七月は正岡子規のことを書きましたので、八月は、その子規とは堅固な友情で結ばれていた夏目漱石について書きたいと思います。明治二十二年六月、この二人は第一高等学校一年を修了し、夏休みを迎えました。九月になると二年生に進級することになっていました。ただ、正岡子規はこの年の五月に喀血していましたので、修了すると同時に、故郷の松山に帰って静養しており、夏目漱石が学校の仲間と房総半島を旅行したのですが、そのときには子規はいませんでした。

 漱石はその旅行記のようなものを子規のためにまとめ、「木屑録(ぼくせつろく)」と名づけて渡しました。内容は漢文で書いたもので、結核を患っている傷心の子規を、少しでも明るくするようにと、茶目っ気たっぷりに書いた紀行文です。二人の交友は、その前年の明治二十一年一月から始まったようで、お付き合いの仕方は、まるで子規が親分というか、兄貴分として漱石に接し、漱石は一歩控えていたのでしょう。だから、子規はこの漱石の紀行文に朱筆を入れて返却したらしいです。

 この辺りの経緯は、高島俊男著「漱石の夏休み」(ちくま文庫)に詳しいので、興味のある方には、この本を読まれることをお勧めします。ここでは夏目漱石が「金之助」から「漱石」と名乗りはじめた年が、明治二十二年であったことを申し上げ、子規が亡くなる明治三十五年まで、二人の間には何通もの手紙が行き来する親しい間柄であったことを申し上げておきます。ただ残念ながら、子規が亡くなった明治三十五年には漱石は、留学先のイギリスに滞在中で、日本には居ませんでした。

 さて、その夏目漱石です。漱石と言えば、『吾輩は猫である』や『坊ちゃん』を書いた有名な作家であることは、小学生でもすぐに答えると思います。ですが、「ではこの本を読みましたか」と質問されると、「はい」と答えられる方は、日本にはいったい何人くらいに居るのでしょうか。失礼ながら案外と少ないのではないかと思うのです。従いまして、誠に僭越ではありますが、今回は夏目漱石の小説『吾輩は猫である』を、暑い夏休みに是非とも読んでみましょうというご挨拶にいたしました。

 生まれて間もない猫が兄弟の中から書生につまみ出されて、一匹、抱きかかえられたものの、またもや放り出されてしまうこと。やっとのことで、もぐり込んだところが苦沙弥(くしゃみ)先生の家であったこと。女中のおさんに嫌われ、何度も何度も放り出されるが、その騒ぎに顔を出した先生のひと言で、苦沙弥家に住むことを許可されることなど、物語が調子の良いテンポで猫によって語られていきます。猫は名前が付けられず、ですから物語は、ずっと「吾輩」という一人称で話しが進行します。

 苦沙弥家に住みはじめて、この先生の日常生活の習慣というか癖というか、その性分から引き起こされる事件を通して、人間たるものの弱さ、自分勝手さが掘り下げられていきます。苦沙弥先生の普段の姿、ここに集まってくる学生やら先生を師と仰ぐ学者、金持ちやらその金持ちにまとわりつく人などのあからさまなる行動がその対象となります。もちろん、ご近所に住む猫の仲間についても語られます。猫と人間の違いから、人間が如何に我儘な動物であるという形で語られます。

 末尾近く、猫がビールを飲んで、誤って甕(かめ)の中に落ち、死んでしまう直前のところの描写です。ある日の夕飯を済ませた後で、客人は帰る。先生は書斎に入り、細君は裁縫をする。子どもは寝て、女中は湯に行く。そんな中で猫は「究極の言葉か」と思えるひと言を吐くのです。それは「呑気とみえる人々も、心の底を叩いて見ると、どこか悲しい音がする」というものです。この小説が書かれたのは明治三十八年ですが、如何でしょうか。今も「心の底を叩かれて、悲しい音のしない人はいない」と言えないでしょうか。

 漱石も最初の作品『吾輩は猫である』で提起した、この心の底を叩けば聞こえてくる「悲しい音」を、如何に克服するかで悩んだでしょうし、もがいたと思われます。何とか辻褄を合わせようとしたのではないでしょうか。次々と作品も発表されていくのですが、漱石は克服できたと言えるのでしょうか。先ずは『吾輩は猫である』をお読みいただいて、この心の底の「悲しい音」の場面に辿りつき、漱石を感じること。そして、心の底の「悲しい音」の克服についてお考えいただければと思う次第です。
                               (応援団子A)
 

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