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正岡子規の楽力 (平成25年7月)

 この四月に俳句勉強会の年間皆勤賞として、先生から「正岡子規の楽しむ力」(坪内稔典著)を賜わりました。以来、俳句の勉強をするべくこの本を手にしますが、正岡子規の生き方について、インパクトを受けることが多く、その一つを紹介します。本の中で坪内先生は「正岡子規は子どもの頃から生活を楽しむところがあって、次ぎつぎに楽しいことを見つけ出しては、周りの人も巻き込んで一緒になって楽しんでしまう能力を持っている。辞書にはないけれど、これを『楽力』ということにした」と書いています。この本の編集担当の記者が坪内先生に、「坪内さんが子規に見つけているのは、子規の楽力でしょうか」と、話しかけられたとありました。

 人を楽しませる力を「楽力」ということ。何と素晴らしい言葉ではないでしょうか。正岡子規が示した「楽力」の一つに、明治二十一年、第一高等学校に入学した当時、米国から入って来たスポーツ、「ベース・ボール」があります。子規はこれに惚れ込み、「野球」とか「能球」と言っていますが、どうも「やきゅう」と発音した形跡はありません。自分の名前が「のぼる」なので、「のボール」、「のうボール」ということだったのでしょうか。松山出身の学生たちが暮らしている常磐会寄宿舎で「ボール会」を結成し、試合を楽しんだということです。今も上野公園には、正岡子規が楽しんだ野球場が遺っていますし、正岡子規が生誕百年を記念して、平成十四年に野球殿堂入りしたことをご存じの方もいらっしゃると思います。

 そしてもう一つは、言わずと知れた「俳句」です。芭蕉や蕪村の時代は、「俳諧」とか「俳諧の連歌」と言いましても、「俳句」とは言いませんでした。俳諧師が集まり、 発句の五七五に、 七七と歌を付け加え、さらに五七五と次に展開させるように歌を連ねていく会合でした。これを「歌仙を巻く」と表現していますが、芭蕉は旅をしては旅先で「歌仙を巻いた」ということだったのでしょう。正岡子規は、この発句の五七五だけを独立させて「俳句」と命名しました。そして明治時代には、もうすっかり忘れられていた芭蕉や蕪村の句を採り上げて、近代俳句のベース「ホトトギス」を作りました。夏目漱石も俳句に関しては、正岡子規の門下生と言えます。

 正岡子規の生き方を読んでいるうちに、今の時代こそ「楽力」を発揮する人を必要としているのではないかと思い始めました。近時、若い人たちが電車に乗ると一斉にスマートフォンだとか、パッドとか、IT機器を持ち出して、これに向かいます。情報をこの機器を通して、文字と写真だけに依存して、というより依存し過ぎて生活をしている環境にあります。世の中の動向を自分の目で確かめて、そこに何が起こっているか、その背景に何があるか、周囲の人たちがどんな反応をしているか、これらを自分の頭脳で判断し、思うところの意見を出し合って、お互いに共感を得て新たなものが生まれる。「仕事も生活もこんな形でありたいな」と思う底辺に、欠けているのが『楽力』ではないかと思うのです。

 正岡子規は若くして結核に犯され、病魔と闘いながら壮絶な死を遂げていますが、襲ってくる疼痛を堪え、苦境にあって「墨汁一滴」、「仰臥漫録」、「病床六尺」という日記を残しましたので、後世の私たちには正岡子規の記録を読むことが出来ます。この大巨人から今も学ぶことの多いことを紹介したいと思いました。 

   『梅雨晴れや蜩(ひぐらし)鳴くと書く日記』 (子規)
                               (応援団子A)
 

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