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宮本輝の「蛍川」 (平成20年2月(1))

 何か面白い番組はないのかとテレビのチャンネルを替えていて、NHKの「知るを楽しむ」にぶつかりました。ちょうど画面には宮本輝の顔が映し出されていました。以前から宮本輝の本は読みたいなと思っていたし、テレビではどんな話をされるのかに興味がありましたので、ついつい見入ってしまいました。「父親が子供の前で母親を殴るのはよくありません。子供にはとても辛いことです」と淡々と話すのを聞いて、宮本輝という人が子供の頃から苦労の多い、辛い生活を強いられてきたことを察知しました。早速、検索サイトで宮本輝について調べました。昭和22年に神戸生まれという記事をみて、さらに興味が増しました。私も神戸生まれであり、昭和22年といえば、疎開先の鳴門からから戻ってきたばかりの神戸だったからです。至るところに焼け跡が残る神戸は、当時小学校3年生だった私の脳裡にも強く刻み付けられているものですから。

 検索サイトで調べた限り、幼少期から大学時代までの宮本輝の生い立ちは、小学校4年生のときに富山で暮らした一年間を除けば、その殆どを大阪または大阪の周辺の街で暮らしています。父親の事業が上手くいかず、女性問題でも母親を苦しめた生活は、まるでドラマでも観ているように感じました。

 大阪を拠点にして営んできた父親の事業が、昭和29年の台風被害で傾いてしまい、富山に転居して新天地を開こうとして果たせず、更に狂いが生じてしまったようです。父親はまた大阪に舞い戻り、何とか事業の建て直しを図ったのでしょうが、失敗を重ねては新しいし事業に飛びつき、借金だけが増えていったようです。挙句の果てに女が出来て家を出て、家にお金を入れなくなります。まだ幼かった宮本輝は、気持ちのもって行き場がなく、押入れの中で山本周五郎著「青べか物語」などの本を読んでいたといいます。働く母親もアルコール中毒に自殺未遂などと苦しみ続けます。宮本輝の大学卒業前年に、ついに父親は脳梗塞で倒れ、やがて精神にも異常をきたし、鍵つきの病室で息を引き取るようなことになります。この頃の宮本輝は、追手門学院大学に在籍していたのですが、学校に出席しないで荒れていたようです。

 母親の支援のもとに作家を目指した宮本輝は、30歳になった昭和52年、大阪西の船の出入りが激しい川口の街を書いた「泥の河」で太宰治賞を受賞し、同年秋には満を持して発表した「蛍川」で芥川賞を受賞します。その後も次々と名作を書いていますが、ここでは富山が舞台になる「蛍川」について触れたいと思います。(私はテレビを観た翌日、さっそく街に出て、宮本輝の文庫本「泥の河・蛍川」を買ってきました。そして一気に読みました)

 小説「蛍川」は、昭和37年3月の雪の残る富山から始まる、常願寺支流のいたち川流域の住む人たちの物語です。宮本輝が実際に富山で過ごしたのは小学校4年生ですが、小説の主人公である水島竜夫は中学校3年生になっています。父親の重竜は事業に失敗するたびに新たな仕事に挑み、また失敗をして借金を重ねていきます。重竜が50歳を越えて千代との間に竜夫が生まれ、重竜は妻の春枝と別れて、千代と富山で暮らしているというのが物語の背景です。全てが宮本輝の人生と同じではありませんが、事業に失敗しては借金をしていく重竜は、間違いなく父親がモデルでしょうし、重竜亡き後の千代は、父親に暫く富山において行かれて不安であった母親の心情そのもののように思われます。

 この物語の圧巻は、ラストシーンにあります。竜夫が好きな英子を誘って川の上流で群をなして舞う蛍を見に行くことになります。建具師の銀蔵と小学校4年生の時から約束をし、果たせていなかった大群の蛍を銀蔵の案内で見に行くことになるのです。ひょんなことから母親の千代も付き合うことになります。歩いても、歩いても、なかなか到着しない蛍のいる場所に、銀蔵以外の三人は不安になってきます。しかしやがて眼の前に蛍の大群が現れます。重竜を亡くした千代も強烈な蛍の光に打たれて、兄の勧める大阪行きを決心します。川辺での蛍の乱舞が物語のクライマックスです。建具師銀蔵にも一人息子の大工である源二がいて、好きな女がいると打ち明けられて間もなく、建築中の屋根から落ちて亡くしたという辛い過去があります。誰もが何かしら抱えている悲しみが、蛍の乱舞によって一瞬でも癒される情景を、映像のように読者の脳裡に映し出してくれます。「蛍川」を読んでいくうちに、竜夫や千代から読者は勇気を貰うのではないでしょうか。「蛍川」はそんな物語です。

 テレビで観る宮本輝は優しい人です。宮本輝の話し方は、自分の話が相手にどのように伝わっているかを確認して、次に話す言葉を選んでいるように思います。相手が今、自分の話したことで何を考え始めたのか、その反応が出るのをじっと待ちます。相手の反応をしっかりと頭に入れて、あるいは「こんな反応をするだろう」と、想像した結果を確認して話を先に進めていく人です。宮本輝は「素の自分は結構面白い人間だと思う」と言います。また「人生に無駄なことは一つもない。どんな辛い失敗も、生きているうちに必ずどこかで役に立つものだ」とも言います。これまで経験してきた苦難から学んだことの多さを物語っているように私には響いてきます。

 十三年前の阪神淡路大震災で、伊丹にあった宮本輝の家は倒壊しました。後で調べてみると、いつも原稿を書いている書斎の机の後壁に、割れたガラスが突き刺さっていたと言うのです。もし原稿を書いている時間に地震に遭っていたら間違いなく死んでいたことを覚りました。宮本輝はこれを機会に以前から行きたかったシルクロードの旅に出ています。この旅で「命が何のためにあるのか」を理解したといいます。

 20世紀の有名なハードボイルド作家であるレイモンド・チャンドラーに「男は強くなければ生きていけない。優しくなければ生きる資格がない」という言葉があります。宮本輝はそれを思い出させてくれる人です。私はしばらく宮本輝作品を読み続けることになると思います。(A)

 

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