""
株式会社ハートウェア SI Visionの株式会社ハートウェア:「語りかけ、歩み寄る」タフに地道にハートワーク、フットワーク
""
株式会社ハートウェア:ホームへ
""
株式会社ハートウェア:会社情報
""
株式会社ハートウェア:サービス
""
株式会社ハートウェア:採用情報
""
株式会社ハートウェア:ハートウェア応援団
""
今月のハートウェア応援団
バックナンバー・気ままにご挨拶
バックナンバー・読書に乾杯! 
バックナンバー・恥かき読書
バックナンバー・エッセイ
 
""
株式会社ハートウェア:リンク集
""
株式会社ハートウェア:社長の一言バックナンバー
SI Visionの株式会社ハートウェア
 
""
株式会社ハートウェア:ハートウェア応援団・気ままにご挨拶
""

瀬島龍三さん (平成19年9月)

 先週4日(火)のこと。夕刊一面に「瀬島龍三氏(95歳)が逝去された」と、大きく報道されていました。見出しは「昭和の参謀、元伊藤忠会長逝く」とありました。最近では笑福亭鶴瓶や南原某の番組のゲストとしてテレビ出演し、戦時中の話を分り易くして好々爺振りを発揮されていました。昨年、富山空港で笑顔の、でも矍鑠(かくしゃく)とされた瀬島さんをお見かけしたこともありました。故郷帰りであったのだろうと思います。

 瀬島さんは富山県小矢部市鷲島の農家に生まれ、旧制砺波中学、陸軍幼年学校、陸軍士官学校、陸軍大学校と進まれ、陸軍大学校は首席で卒業、昭和天皇から恩賜の軍刀を賜るという、戦前では軍人としての超エリートの道を歩まれました。卒業後は大本営の参謀として活躍、敗戦の翌日に終戦処理のために中国に渡り、そのまま戦犯としてソヴィエトのシベリアに抑留、戦後11年間、シベリアで労役に従事された人です。

 昭和31年帰国。その後伊藤忠商事に入社され、機動力を発揮する営業体制を作り、やがては会長職を務められという、サラリーマンとしての頂点を極められました。第二次土光臨調(行財政改革)の牽引者として大活躍をされたことは有名で、中曽根元総理大臣も弔問に駆けつけたようですが、当時、サポートを受ける立場にあった中曽根さんとしては感慨無量であったろうと思われます。瀬島さんは回想録「幾山河」に、「五つの人生を歩んだ」と書かれているようです。

 小生はこの三日間、書棚の奥に入っていた山崎豊子著「不毛地帯」(全4巻)を引っ張り出して読み返していました。この本は瀬島さんをモデルにして書かれたことが当時は話題でしたし、勿論ベストセラーになりました。物語では、瀬島氏がモデルとされる近畿商事の壱岐正が、日米繊維交渉真っ只中の商社営業、防衛庁(今は防衛省)の戦闘機輸入、自動車会社の業務提携、吸収合併、イランの石油発掘の指揮者として当たる総合商社の営業活動の幾つかが語られます。当時も熱中して読みましたが、今回も夢中になって三日間を過ごしました。

 もう一つ忘れられないことがあります。この本を読んだ昭和54年春は、当時一緒の部隊で営業に励んでいたI君と「不毛地帯」の読後感をよく話し合ったものです。上記の営業状況ではありませんが、我らが持っていた具体的な営業案件について「壱岐正ならこのケースはどうするだろうか」と討論となり、酒場まで論議が続いたこともありました。今回読み返している中で、「このセリフは、この思考過程は、この提案方式は、I君のやり方と似ている」と思うところが幾つか出てきて、懐かしい思いがしました。

 そのI君もこの一月、突如として亡くなられました。病気とはいえ残念でした。瀬島さんの話、あの頃の営業話も、もうI君とはできません。時間の流れは無常です。本を読んでいる間、「我らは与えられている時間を、精一杯、生きていくことなんだ」と、何度も思いました。

 末筆ですが、瀬島龍三氏のご冥福を心からお祈りします。合掌。(A)


このページのTOPへ▲
<<気ままにご挨拶・19年8月へ 気ままにご挨拶・19年11月へ>>


Copyright 2005-2006 HEARTWARE Co. All Rights Reserved.