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命について(平成18年12月(1))

 京都清水寺の恒例の年末行事になっている日本人の選ぶ今年の漢字一字は、「命」に決まりました。(12月12日は、「一字一字」と読ませ、漢字の日だそうです。)全国から十万通に近い応募総数のうち、八千参百人強の人が「命」を指示したようです。これまた恒例になりました年末のテレビ・ニュースのトップに映し出された清水寺森貫主の素晴らしい筆運びと逞しく書かれた「命」を拝見して、胸に強く重たく響き、語りかけてくるものを感じました。

 かけがえのない命とはよく聞く言葉です。今年はそのかけがえのない命を、自らの手で閉じた少年、少女。その背景にある「いじめ」の存在。虐待という子殺し。飲酒運転という無謀者によって思いもよらず失ってしまった命の数々。荒んだ人間が、その人間の荒んだ心が犯した罪です。熾烈な経済社会の競争や心不在の日常が、歪んだ価値基準を生んでしまったのでしょうか。 世の中の最終目的が、まるで金銭であるかような拝金主義のなれの果てということでしょうか。

 万葉集、山上憶良の歌から次の二つをあげます。

 『久方の 山路は遠し なほなほに 家に帰りて 業(なり)を為(し)まさに』
 『銀(しろがね)も 金(くがね)も玉も なにせむに まされる宝 子にしかめやも』

 上段の歌は「理想を抱いてもっと高みへと望んでいるのだろうが、世の中はそんなに甘いものではない。素に戻り家に帰って家業に就きなさい」というような意味です。出来そうにもない絵空事を言って、家族を顧みない軽薄な人を、おそらく山上憶良はこんこんと諭したのでしょう。そんな場面を想像します。この歌は反歌で、その長歌として「父母を見れば尊し、妻子を見ればめぐし愛(うつくし)し、世の中はかくぞ道理(ことわり)」と言い、足元をしっかりと見よ、現実をおろそかにしてはならないことを山上憶良は戒めています。

 下段の歌は今でも余にも有名な吾が子を思う歌であり、斎藤茂吉著「万葉秀歌」(上巻)には「愛は子に過ぎたるはなし。至極の大聖すら尚ほ子を愛しむ心あり。まして世の中の蒼生(あおひとぐさ=一般庶民)、誰か子を愛(お)しまざらめや」という長歌の一端が書かれています。「偉い人でも吾が子のことになれば目を細めるのに、まして庶民なら誰に遠慮して子供をいとおしく思わないでいられるものか」という事でしょう。そして「瓜を食べれば今はどうしているのかと子を思い、栗を食べればもっと強く子のことがしのばれる。目の前に子供の姿がちらついてゆっくりと寝てもいられない」という山上憶良の親心を吐露しているのです。

 このように「子を愛しみ、人を思いやる心」は、日本人が万葉の時代から誇りにしてきた心情です。「かけがえのない命」を大切にする日本人の故郷なのです。永い歴史をかけて育んできた筈です。これを大事にしない訳には参りません。「もう少しお金があれば、美味しいものが食べられる、旅行にも行ける、あの服が買える」という気持ちが余にも膨れ上がって、それ以外は何も見えなくになっているのでしょうか。もう一度、人としての「幸せの原点」を顧みる必要があるのではないでしょうか。

 燦燦と照る太陽の下で子等と遊ぶ笑顔の明るさ。雨の日にはお茶一杯を手元において本を読む至福。遠くの友を思い「元気でいるか」と書く一本の手紙。「有難う」と返って来る返信。心豊かなこの「幸せ」は、金銭で何かを所有することよりもはるかに勝ります。決して痩せ我慢で言うのではなく、そうした日常の中にこそ、「生きていて良かった」という「命」の尊さが、ちりばめられているのではないでしょうか。(A)

(註)斎藤茂吉著「万葉秀歌」(上巻、下巻)(岩波新書)2001年4月 92冊発行

 

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