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自分のことは後にして(平成18年11月(2))

 京都の紅葉はこれからが見ごろとのことです。確かに古都の寺院や背後の山々を借景とした庭園を彩る紅葉の華麗さは、まさに日本ならではの晩秋の美と言えるでしょう。その日本の晩秋を、泥水をぶっ掛けて汚してしまうような、この頃の「虐待」や「いじめ」という社会現象を何と言えばよいのでしょうか。如何なるマス・メディアで、誰が、どのようなコメントを吐いても、残るのは唯々虚しさだけであり、報道する人々には「何度も何度も悲惨さだけを訴える状況説明はもういい加減にしましょう。巣食っている病根の源を絶つ話をしませんか」と言いたくなります。皆様もテレビや新聞を観ながら、やり場のない憤りを感じておられるのではないかと思います。

 誰が悪い、かれが悪いと犯人探しをしても、結論は出てこないように思います。言われた誰かが、あれこれと釈明するだけで終わりです。議論は虚しく空転するだけでしょう。戦後60年、これまで新日本の建設に貢献してきたとか、あるいは、世界を驚かせる経済的な発展を遂げてきたとか大言壮語をしても、それはそれで認めたとしても、何処かに欠陥があったと考えざるを得ません。どうやら国民全員が負わねばならない責任だと思うのですが、如何でしょうか。そもそも日本敗戦の戦争責任を軍人だけに背負わせて、反省を後回しにして、そ知らぬ顔をして生きてきた国民の身勝手さに、天が罰を下しているのではないでしょうか。

 昨年末から今春にかけて数学者、藤原正彦さんの著作「国家の品格」が、大きな話題を呼びました。この本に書かれている「市場原理主義への非難」が、多くの読者に支持されたのも、日本人が何処かに「心」を置き去りにしてきた過去に対する、一つの反動ではなかったかと思うのです。藤原さんは『先進国の行き詰まりや荒廃は、「論理と知識」のみを頼りにしてきたところに原因があり、日本もまたこれに追随して来た結果、本来、日本人が大事にして来た筈の「論理や知識の根源にある情緒と形」を忘れてしまった』と訴えています。

 古い話をすれば良いという訳ではないでしょうが、もう三十年も前にも同じ数学者、岡潔さんの著作「春宵十話」があります。昔、図書館で読んで感銘を受けました。 今度、光文社によって復刻されていますが、先日、本屋で見つけ買ってきました。岡さんは「人間の表玄関は情緒である。 頭ごなしに押し付けるだけの躾も、 頭だけで覚える知識も所詮は勝手口である。」 と言われているように、私は受け止めました。「人の人たるゆえんはどこにあるのか。私は一にこれは人間の思いやりの感情にあると思う。」とも書かれています。

 岡さんは、家庭教育として「子供には、一歳から三歳まで母が愛と信を教え、四歳から六歳までに父が信と欲を教えること」と言われます。一歳から三歳までの幼児の目は、純粋な「見える目」であり、本能的に「見る目」を持ち始める四歳くらいから、父親は言行一致の信を教え、私心を去った「向上欲」、「救済欲」を教えていかなければならないと言うのです。

 岡さんは自分が初めて道義教育を受けたのは五歳の頃で、祖父から「人のことを先にして、自分のことは後にせよ 」 と教えられたそうです。 「祖父は私が中学四年生のときに亡くなったが、十何年間、 それだけを教えられたように思う」 と言われます。 岡さんのお爺さんは、私財を投げうって町の人のためにトンネルをつけた人でしたから、岡さんから見てもお爺さんは言うだけの人ではなく、実行した人だったのです。

 「人のことを先にして、自分のことを後にする」。昔、私が感銘を受けたのはこの言葉でした。「今、日本にこのことだけでも美風として定着していたら、どれだけ多くの悲劇や犯罪が起こらずにすんだのか」と改めて考えています。教育というのは、何も子供だけの問題ではなく、日本人全員が、本来、日本に育まれてきた教育を思い起こし、あらゆる場所で実践していかねばなりません。

 この文庫本には、「春宵十話」とは別に、幾つかのエッセーも採録されております。その中に「一番心配なこと」と題して、「私が一番心配していることは、心配しなければならないことを心配しない現在(三十年以上も前のこと)の風潮である。」、「私が本当に心配でならないのは教育のことである。 」 と説いています。 「他人を思いやるという感情は、 個人の持っているアビリティであって、決して集団に与えられたアビリティではない。集団的に行動させる習慣をつけさせれば、数人寄ってディスカッションしないと物が考えられなくなる。それでは少なくとも深いことは何一つわからない。」と言っています。岡さんは三十年も前から、日本が「赤信号みんなで渡れば恐くない」のど壺に陥ることを予告していたように思えてなりません。(A)

(註)岡 潔著「春宵十話」(光文社文庫)2006年10月20日初版1冊発行

 

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