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「初心忘れるべからず」(平成17年3月)

  世阿弥は「能楽に励む者の心得を一言で表現すれば、それは『初心忘れるべからず』である」と言っています。そして「初心」には「是非の初心」、「時々の初心」、「老後の初心」の三つがあり、「是非の初心」とは、修業を始めた幼少の頃に身につけた「それはしてもよいか、いけないか」という判断心得のようなものであると言います。この「初心」さえ忘れずにいれば「後心」が正しくない筈がなく、身についた「初心」が以後の進歩を計る尺度になっていくのだと、つまり修業の是非を分かつ道理であると言うのです。

 次の「時々の初心」というのは、能楽に励み年月を経て、辛い修業によって積み上げてきたものの中から得たヒントや悟りによって成長していく、その成長過程の一つひとつの成果を、その「時々の初心」と言い、これを忘れてはならないと言っているのだと思います。私たちの現在の生活に当てはめてみても、これまで生きてきた過程で味わった出来事の中に「これは忘れてはならない経験だ」というのが幾つかあり、それが心身を向上させる源になっているのだと思いますが、能楽の世界では「時々の初心」を忘れなければ、演技の幅が広がり深まると世阿弥は言っているのです。

 かくして如何なる名手も老いていくわけですが、「老後の初心」とは、身体が若い時のように動かなくなっても、老いてなお演ずるその時々に初心があり、これを忘れてはいけないと世阿弥は言うのです。「動十分心、動七分身(どうじゅうぶんしん、どうしちぶんしん)=身体は七分だけ働かせばよい、その代わり心を十分に動かせて演じよ」というような発見も、老後の初心を忘れなかった成果であったと思うのです。結局、「初心」とは、己を律する規範であり、己をステップアップさせる経験や苦心だと思うのです。

普段、私たちが「初心忘れるべからず」という場合は、うまく事が運ばずやる気を失くしている者を「張り切っていた最初の気持ちを思い出せ」と励ます時に使いますが、世阿弥発言はもっと意味深いように思います。後世、茶道が盛んになって「一期一会」という言葉が生まれますが、「一期一会」とは、次にもう会うことはなく、生涯この一度の出会いが最期と思って客に接する、茶会の亭主の客人に対する誠心誠意のもてなし心のことだと理解していますが、これなどは世阿弥と同じ精神を持つ発酵体が、その延長線上で醸成されてきたものだと思っています。

今、私たちの人との出会いや仕事の機会の一つひとつ、一回々々の場を、舞台や茶会のように考え、忘れない「初心」の上に、また新たな経験を上書きして「初心」を積み重ねるのだと考えますと、常に「仕切り直した」状態で、新たな気持ちで、事に向かっているのと同じことだと思うのです。そう考えれば、「失敗は消すことの出来ない汚点である」と、くよくよしてマイナス思考を続けるのは馬鹿らしく、時々刻々の「初心」を持って全力を尽くす方が、はるかに積極的かつ自発的な人生を送ることになり、楽しい道が見えてくるのではないでしょうか。もうすぐ春です。(A)



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