新しい手帳を使い始めて一ヶ月も過ぎると、もう永年の仕事のペースに戻って、メモしたりスケジュールを書き込んだりして、年の初めに新しく替えたことなどスッカリ忘れてしまいます。私はこの数年、年替りに新しい手帳を使い始めるときに、必ずしている自分だけの儀式があります。それは手帳の第一頁目の余白に「再び感謝を込めて」と書き、その下に「烈士暮年
壮心不已」と曹操が作った詩の一行を書き添えるのです。
自分だけの儀式をする理由を説明しなければなりませんが、そのためには恥ずかしながら自分の失敗を告白しなければなりません。私は酒が好きなくせに酒に弱く、そのせいで大事なものを何度となく落としたり、失くしたりしてきました。手帳の数だけでも勘定すれば5冊は失くしていると思います。失くして気づく何とやら。手帳のない不便さに困り果てるのですが、いつしかまた酒の力に負けてしまって「何処へ置いてきてしまったのか」ということになるのです。そこで年々取り替える手帳への感謝を「再び感謝を込めて」と書き、失くさないことを己に誓うのです。
もう一つ方の「烈士暮年 壮心不已」と書くのは、「またやってしまった」失敗を、年齢のせいにして、酒が弱くなったと己のいたらなさを他の理由に転化しようとする、己の不甲斐ない負け犬根性への檄なのです。「烈士暮年
壮心不已」と書いた曹操という人は、いわゆる「三国志」の時代、「蜀の劉備」、「呉の孫堅」と共に、三国による古代中国の覇権を争った代表的な、小説の中では悪名高き「魏の大将」です。己に危険と感ずれば敵国のみならず、親戚縁者や周囲の優秀な部下さえも殺す冷血漢、また一方では民のために善政を施した偉人とも言われ、当時を考えれば多分両方とも本当なのでしょう。
武人曹操にはもう一つ、文人としての特技がありました。当時歌われていた民謡のようなものを「漢詩」という形にしたのが曹操だとも言われており、時代を経て「漢詩」全盛の李白や杜甫の唐の時代に続くのだと思えば感慨深いものがあります。曹操53歳頃の作品に「歩出夏門行」という長い詩があります。北の異民族である烏丸を討伐するため遠征したときに作ったものだそうですが、その最終章に出てくるフレーズを写します。(下線の部分を手帳に書き付けているのです。)
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