""
株式会社ハートウェア SI Visionの株式会社ハートウェア:「語りかけ、歩み寄る」タフに地道にハートワーク、フットワーク
""
株式会社ハートウェア:ホームへ
""
株式会社ハートウェア:会社情報
""
株式会社ハートウェア:サービス
""
株式会社ハートウェア:採用情報
""
株式会社ハートウェア:ハートウェア応援団
""
今月のハートウェア応援団
バックナンバー・気ままにご挨拶
バックナンバー・読書に乾杯! 
バックナンバー・恥かき読書
バックナンバー・エッセイ
 
""
株式会社ハートウェア:リンク集
""
株式会社ハートウェア:社長の一言バックナンバー
SI Visionの株式会社ハートウェア
 
""
株式会社ハートウェア:ハートウェア応援団・気ままにご挨拶
""

お正月の新聞やテレビから(平成17年1月)

  新年明けましておめでとうございます。本年も応援団コーナーを宜しくお願い申し上げます。暮れからの雪で、富山もいよいよ本格的な冬を迎えたようです。今年も元気に新年のスタートを切りたいと存じます。とは言うものの、昨年の台風23号や新潟地震の残した傷跡がまだ癒えていないのに、スリランカ沖の巨大地震と大津波による想像を絶する大被害に呆然とし、奈良の女児殺害事件の犯人が逮捕されたとはいえ犯人の冷酷な証言に激怒し、人の出入りの激しい大型店舗での放火などの報道が続き、誠に残念ながら、天災は如何ともし難いことですが、金のために人を人と思わぬ凶悪犯罪も増え、昨年からの暗澹たる思いを引きずったままで迎えた新年と言えます。

読売新聞1月1日号文化欄に富山生まれの辺見じゅんのエッセー「ちいさな一歩」が掲載されていました。辺見さんは言わずと知れた富山市出身である角川書店の創始者、角川源義(げんよし)氏のご息女であり、その父親のことについて書いたエッセーです。源義氏は昭和18年戦争にとられるまでは国文学者折口信夫の門弟で、中学校の国語教師を勤めながら中世文学を研究されていたようです。「父は死を覚悟した軍隊生活については、戦後多くを語らなかった」と辺見さんは書き、その頃に源義氏の残していた次のような短歌を披露しています。

『雨いつか 雪となりゐる くらがりに 病馬をまもり 立ちてゐにけり』

父源義氏の心境は、日本を病馬に喩え、「敗戦濃厚な暗黒の中にいる日本であるが、それでも守っていかねばならない」という出征時の心境を歌われたのだと思います。辺見さんはエッセーの中で、戦時中の庶民の生活状況も書かれており、「灯火管制」という当時の子供なら誰でも知っている、電灯を黒い布で囲い光を漏らさないようにしたことも書いています(灯りがアメリカ爆撃機の空襲の目標にならないように注意をしたものです)。終戦の日、祖母が「これであんたらの父ちゃんは、じきに帰ってくるっちゃ」と叫んだこと、空襲がなくなり暗幕を取り去って、家中が明るくなった喜びを言っています。

父源義氏の戦後の行動は素早く、敗戦の秋に復員し、その翌年のお正月にはもう富山にはいなかったようです。学者の道を断念し、東京に出て出版社を創業、日本文化の顕在化に貢献したのです。これが後の角川書店につながっていくのですが、辺見さんはその頃の日本人が、それぞれの道で「ちいさな一歩」から出発して、今日の日本を構築してきたのですが、「あれから60年、日本にまた暗雲が立ちこめて来てはいないか」と、心配しています。そして「父たちの世代が手植えた苗の志を私たちは受け継いでいるだろうか」と言うのです。そういえば、元旦早々、テレビ朝日が放映した「朝まで生テレビ」や、箱根駅伝の実況放送の裏側で、「どんな大人になりたいの?アーカイブスの偉人たちから君たちへ」というNHK教育テレビは、辺見さんが心配する「日本を再び病馬としないために、私たちは今、なにをしなければならないだろうか」につながっていたのではないでしょうか。(A)

このページのTOPへ▲
<<気ままにご挨拶・16年12月2へ 気ままにご挨拶・16年2月へ>>


Copyright 2001 HEARTWARE Co. All Rights Reserved.