”鎮魂と復興の願い込め”昭和22年から
戦後60年
第59回北日本新聞納涼花火 富山会場
8月1日(月)神通川有沢橋下流
「富山大空襲では、多くの市民が火の海から逃れようと神通川に飛び込んだ。その地で、鎮魂と復興の願いを込め、大輪の花火が打ち上げられた。」(北日本新聞より)
・昭和22年8月10日には10万の人が集ったそうです。
・昭和45年からは大空襲に合わせて8月1日に。
「敵機は富山の西から右回りで侵入し、周囲から焼夷弾を投下、市民の逃げ道を断ってから中心部に雨のように焼夷弾を降らせた。覆い被さるように響く爆音や、四方から上がる火の手、熱さに追われた人々は神通川の水辺まで押されていった。炎に追われて、多くの人々が耐えられず川に入る。運のよかった幾人かは神通大橋や北陸線の鉄橋につながって助かった…。」
(2005年(平成17年)7月17日 北日本新聞読者のひろば、神通川の北日本新聞納涼花火大会より)
先人に感謝し、この60年の平和を70年・80年と保つことを願い行動しましょう。
戦後60年の花火を……。
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