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第28回

◎ 歴史というもの(1)

 歴史上の事実というのは文書であれ絵画であれ、現在に遺されたものによって証明するしか方法はない。大雑把に言えば、それが事実であるかどうかは、或る一つの古文書だけでなく、別の古文書から同一の事実が認められるか、あるいは類推できる遺物が残っているかどうかなどが検証されて、初めて認知されるものだろう。かくして我らが「歴史」として学ぶ過去の出来事は、歴史家の厳しい審査を得て「歴史的事実」という位置を得ているのであるが、時として新たな事実が発見され、それが証明されることによって立場を覆されてしまうこともあれば、また時として、新たな事実であるが如く提示されたものが、全くの「にせもの」として暴かれることもある。更にこれに時間軸を加算すると、同じ古文書から導き出された事実であっても、読む歴史家の生きた時代、歴史家の育った環境により、価値付けられる内容は変化することもある。ある歴史家は「事実は神聖であり、意見は勝手である」と言う。

 具体的な一例を挙げて考察してみたい。慶応三年(1867年)十月十三日に、将軍徳川慶喜は、二百六十余年に亘って続けてきた幕府による政治システムを朝廷に返上した。いわゆる「大政奉還」であるが、歴史上この大挙を建白した土佐藩後藤象二郎の論理根底をなすものが、坂本龍馬が長崎から京に上る夕顔丸の船中で説明した以下の八策(世に「船中八策」と言われるもの)である。

 一、天下の政権を朝廷に奉還せしめ、政令宜しく朝廷より出づべき事。
 一、上下議政局を設け、議員を置きて万機を参賛せしめ、万機宜しく公議に決すべき事。
 一、有材の公卿諸侯及び天下の人材を顧問に備え官爵を賜ひ、宜しく従来有名無実の
    官を除くべき事。
 一、外国の交際広く公議を採り、新に至当の規約を立つべき事。
 一、古来の律令を折衷し、新に無窮の大典を撰定すべき事。
 一、海軍宜しく拡張すべき事。
 一、御親兵を置き、帝都を守衛せしむべき事。
 一、金銀物貨宜しく外国と平均の法を設くべき事。
 
 以上、八策は方今天下の形成を察し、之を宇内万国に徴するに、之を捨て他に済時の急
 務あるなし。苟(いやしく)も此数策を断行せば、皇運を挽回し、国勢を拡張し、万国と並
 立するも、亦敢て難しとせず。伏て願くは公明正大の道理に基き、一大英断を以て天下
 と更始一新せん。

 土佐藩参政後藤象二郎、福岡孝弟らは上述の策を持って、同年六月二十二日に薩摩藩との間に「薩土盟約」の談判をして、同月二十五日には「薩土芸藩約定書」を交わし、土佐藩から幕府にこれを建白することを約束した(参照バックナンバー第七回)。土佐藩前藩主山内容堂の態度の曖昧さを懸念する薩摩藩、芸州藩の葛藤もあったが、どうにか漕ぎ着けた結論であった。この後、英国イカルス号船員殺傷事件が発生して坂本龍馬の海援隊員に疑いがかかり、解決までに時間を費やして、具体的に土佐藩から幕府に建白するのが遅れて上述のように十月まで延期されたのであるが、幾つかの問題点を残しながらも、徳川慶喜の決断によってとにかく大政は返上された。

 実はこの春、京都新聞に嵯峨根良吉という人が、坂本龍馬が夕顔丸で後藤象二郎に説明する一ヶ月前の慶応三年五月に同じような建白書を薩摩藩に出していたという記事が掲載された。私に嵯峨根良吉のことを教えて下さったのは、日頃から貴重なご意見をいただいているN先輩である。 早速、記事や検索エンジンから情報を集めると、嵯峨根良吉が緒方洪庵の「適塾」で蘭学を収めた京都宮津出身の洋学者であること、寺島正則の紹介によって薩摩藩から招聘を受け建白したこと、明治元年に没したこと、後世の親族の方が関連資料のあるのを発見して申し出たことなどが判った。建白の概略を次に示す。

 一、幕合体の後、国政は天朝主導のもと、全国から130人の選良を得て、上下二局
    の議政局により行うこと。
 一、江戸、京、大坂、長崎、函館、新潟に学校を設置すること。
 一、西洋人教師を擁した人材教育をすること。

 このほかPC上のホームページには「龍馬堂掲示板」があり、同じような建白が越前藩主松平慶永(春嶽)に対して、信州上田藩の赤松小三郎によってなされたという書き込みのあるのも見つけたし、大仏次郎著「天皇の世紀」(七)にもその記述があった。外国からの圧力、幕府の権力弱体化で国家の緊急時であり、似たようなことが別の場所でもなされていたとしても決しておかしくはない。

 小説「竜馬が行く」(七)の中で著者司馬遼太郎は、上述の「船中八策」を京に上る夕顔丸の船上にて坂本龍馬から後藤象二郎に伝える場面を設定している。そして後藤に「お主はどこでそんな智恵がついた」と龍馬に尋ねさせ、龍馬に「いろいろさ」と答えさせている。司馬遼太郎は、この「いろいろさ」の中に、龍馬の来し方の万感を込めさせ、世上の煩雑さを映しているのだと思う。土佐藩における郷士と呼ばれた脱藩前の憤懣やるかたない環境、その背景としての徳川幕府の因循姑息、外国からの交際申し入れへの対応の拙劣さに、龍馬は「我が国危し」との恐怖感を強くしていただろう。そして、若い時期に土佐で聴いた河田小龍の講義、漂流者ジョン万次郎のアメリカについての話や師匠の勝海舟や大久保忠興(一翁)、松平春嶽、横井小楠から伝授された未来日本の構図など、さらに加えれば、長崎で商談を通してイギリスやオランダの商人から得る外国情報も、イギリスのパークス公使の通訳として駐在したアーネスト・サトーらの知識習得もあっただろう。その「いろいろさ」が龍馬の頭の中で結晶し、具体的な行動となったのであろう。

 龍馬提案の一ヶ月前に、嵯峨根良吉が薩摩藩に建白していたというようなことは、歴史上では幾つも散在する現象であり、それがそれで評価されることに何の異論もない。とはいえ、これが歴史的事実として認知されるには、総合的且つ具体的な成果として評価されてのことであり、早い時期に同じ考えを持っていたというだけでは、これまでの評価が覆ることはない。その時点における状況把握、周囲関係者への働きかけ、説得、行動などのTPOが、適切になされていてこそ正当な評価を受けるのであろう。余談ながら坂本龍馬は、これ以外にも薩摩藩と長州藩を結びつけた「薩長連合」という大仕事をしている。龍馬が「亀山社中」(今で言えば商社)を創設し、事業展開を図っていたが故に完遂出来た大仕事であるが、これに対しても「これは別に画策した人がおり、龍馬は下働きをしただけ」とか、「龍馬は薩摩藩の下僕であった」という説を論ずる人もいる。それなりの根拠もあるのだろうけれど、都合の良い事実だけを集め、これを繋ぎ合わせて魅惑的な異説を浮かび上がらせても、それはそれだけのことでしかない。

 この「大政奉還」建白の事実に関しても、提案を受けた徳川慶喜にしてみれば、提案したのは前土佐藩主山内容堂であり、その使者としての後藤象二郎である。坂本龍馬が考案者であったことを、後藤象二郎がたとえ進言したとしても山内容堂も徳川慶喜も気にかけることはなかったと思う。しかし今や歴史は、坂本龍馬の仕事としてこれを認めているのである。歴史とはそういうものだと理解する。また、これは別問題であるが、為政者としての徳川慶喜は、当然のことながら「大政奉還」後の日本の政治をどうするかを苦慮していたと思われる。次回に採り上げたいと思っているが「上下二院の議政局を設けるという提案」に「これならいけるのではないか」と、そこに活路を求めたようである。ただ歴史的には明治政府が議会創設までに、更にこの後、二十数年を要することになるのだが。

 最近のことである。没後10年を経て政治思想史の巨頭、丸山眞男博士に関する著作が評判になり、新聞紙上でも取り上げられている。その丸山眞男博士に次の言がある。「すべての時代、すべての社会は、夫々典型的な学問を持っている。ある時代、ある社会において、学問の原型とせられるものが何か、ということは、その時代なり、社会なりの人生と世界に対する根本的な価値決定に依存している。」と。思うに学問に限らず「歴史的な事象であれ、その時代に起こる現象であれ、それらはその時代に生きる人の価値基準に基づいて成り立ち、論議され、評価される」ものであり、だから歴史というのは、いつも論議され、評価を変えながら生きているものかも知れない。(応援団子A)

 参考文献
 大仏次郎著「天皇の世紀」(七、大政奉還) 朝日新聞社 2006年5月刊
 司馬遼太郎著「竜馬がゆく」(七)文春文庫 文芸春秋 1979年9月刊
 E・H・カー著「歴史とは何か」清水幾太郎訳(岩波新書)
                            岩波書店 2002年5月刊
 丸山眞男集(第三巻)「福澤における実学の転回」
                            岩波書店 1995年9月刊

 

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