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第12回

◎ 福澤諭吉著「文明論之概略」(岩波文庫 1995年3月第一刷発行 松沢弘陽校註)

  『古来我国の通法に於(おい)て、人民は常に財を蓄積し、譬(たと)えば四公六民(しこうろくみん)の税法とすれば、 その六分を以って僅(わずか)に父母妻子を養い、残余の四分はこれを政府に納め、一度(ひとた)び己(おの)が手を離(はなる)ればその行く処を知らず、その何の用に供するを知らず、余るを知らず、足らざるを知らず。概していえば、これを蓄積するを知(しつ)てその費散の道を知らざるものなり。政府もまた、既(すで)にこれを己(おの)が手に請取(うけと)るときは、その来る処を忘れ、その何の術に由(より)て生じたるを知らず、あたかもこれを天与(てんよ)の物の如くに思うて、これを費(ついや)しこれを散じて、一(ひとつ)も意の如くならざるはなし。概して いえばこれを費散するを知(しつ)て蓄積の道を知らざるなり。』(第九章「日本文明の由来」252頁から抜粋)


  現在では名著に挙げられる「文明論之概略」も、その発刊当時は、福澤諭吉が将来の日本国独立の芯になるべきものを提示せんと、学術的に構えて取り組んだ割には世間での評価が低く、難解という印象が広まったのか、その頃発売され爆発的に売れていた同じ福澤諭吉著「学問のすすめ」に比べれば、ほんの僅かしか売れなかったという。
  従来、福澤諭吉の手になる著作は、西洋文明の一つひとつを捉えて我国の在り様と比較し、これを噛み砕いて論評することを旨としていた。しかし、この「文明論之概略」を著すに際して、福澤は少し考えを変えて、先ずはジョン・スチュアート・ミルの著作「代議政治論」、「自由論」、「経済学原理」、トーマス・バックルの著作「英国文明史」やフランソア・ギゾー著「ヨーロッパ文明史」を熟読し直し、歴史を遡って日本の政治、風習、文化の実態を「神皇正統記」、「読史余論」など日本の代表的な歴史書や、武家社会に多大な影響を与え続けてきた「論語」、「孟子」、「史記」などの儒学書を参照して分析し、日本国民のよって来る精神構造とその発揚との総合的かつ相対的な比較を試み、いわゆる西洋かぶれの論を廃し、西洋文明の優位点を日本国に採用する際の問題点と方法を論じた。

   本著の校注者松沢弘陽は末尾の解説の中で、「文明論之概略」の着想から脱稿までの様子を、後に発見された明治七年(1874年)三月から明治八年(1875年)三月までに練り上げた、「文明論プラン」のメモや、加筆削除の跡が見える草稿が、これだけ残っていることは極めて稀であると紹介し、福澤がこれまで受入れて来た情報や知識を系統的に把握し直すことにし、今までのような西洋文明の切売りを止めて、この一年間は勉学に励むという、当時の心境を少しテレながら書いた慶応義塾の同志荘田平五郎宛ての手紙と、勉強しながら書いては止め、また読書して書くといった苦戦の状況を語り、「よし、文責は自分が負えさえすればよい」と覚悟を決めた、故郷中津のよき理解者島津祐太郎に宛てた手紙、あるいは明治三十年の福澤諭吉全集を発刊するに当たって書かれた緒言の解説もあり、ここからは様々な福澤の思いが伝わってくるので、主要部を以下に写しておきたい。


   荘田平五郎宛書簡(明治七年二月二十三日)

  『私は最早(もはや)翻訳に念は無之(これなく)、当年は百事を止め読書勉強致候積(いたしそうろうつも)に御座候(ござそうろう)。追々身体は健康に相成り候を、ウカウカ致し居候(おりそうろう)ては次第にノーレジを狭くするよう可相成(あいなるべく)、一年計(ばか)り学問する積りなり。(後略)』

   島津祐太郎宛書簡(明治八年四月二十四日) 

  『拙著文明論の概略この節脱稿、出版は今三、四ヶ月も手間取り候に付、一と通り写させ差し上げ候。御覧下され候はば市校(中津市学校)へ御回し願い奉り候。(中略)この書は昨年三月の頃より思い立ち候えども、実は私義洋書ならびに和漢の書読むこと甚だ狭くして色々差し支え多く、中途にて著述を廃し暫く原書を読み、また筆を執りまた書を読み、如何にも不安心なれども、ママヨ浮世は三分五厘、間違ったらば一人の不調法、むつかしきことは後進の学者に譲ると覚悟を定めて、今の私の知恵だけ相応の愚論を述べたるなり。(後略)』

   明治三十年発刊の福澤諭吉全集緒言

  『従前の著訳は、専ら西洋新事物の輸入と共に、我国旧弊習の排斥を目的にして、いわば文明一節ずつの切売に異ならず。加之(しかのみならず)、明治七、八年の頃に至りては世態ようやく定まりて人の思案も漸く熟する時なれば、この時に当たり西洋文明の概略を記して世人に示し、就中(なかんずく)儒教流の故老に訴えてその賛成を得ることもあらんには最妙(もっともみょう)なりと思い、これを敵にせずして今はこれを利用しこれを味方にせんとの腹案を以て記したり。読者はいずれ五十歳以上、視力も漸く衰え且つその少年時代より粗大なる版本に慣れたる眼なればとて、文明論の版本は特に文字を大にして古本の「太平記」同様の体裁(ていさい)に印刷せしめたり。(後略)』


   上述の初版から二十数年を経た全集発刊の緒言では、頭脳が儒教に支配されている五十歳以上の老人を味方とするべく、文字も大きく印刷させたとある。全集発刊までに本著も何度か重版されただろうから、ある時点の緒言に福澤が老人向けと書いても決しておかしくはないと思うが、明治七、八年当時の状況を推察すれば、廃藩置県後、不穏な空気が九州に燻り、日本国体系構築の最重要時期に、本書は自論の不安を周囲に確かめつつ練り上げた、福澤流にいう「ミッズルカラッス(middle class)の学者士君子」に熟慮を促す警告の書であり、且つ応援歌というのが、本来の狙いであったと思われる。学者士君子が洋学を勉強する前は、全て漢学書生であったことを指摘して、「あたかも一身にして二生を経るが如く、一人にして両身あるが如し。二生相比し両身相較し、その前生前身に得たるものを以て、これを今生今身に得たる西洋の文明に照らして、その形影の互いに反射するを見ば、果たして何の観を為すべきや」と、本著緒言に吐いた、後世余りにも有名な「ピンチをチャンスに変える不撓不屈の精神、冷厳なる探究心と正々堂々の気概を持って事に当たれ」との福澤スピリットを読むことで、その思いが伝 わってくる。

   さて本論である。第九章「日本文明の由来」では、前半で日本歴史は統治者と統治される者、そして統治する者は富強であり、統治される者は貧弱であるとの区分が、階層的に組み立てられている「強圧抑制の循環システム」の中で社会形成がなされて来たことを言う。人間世界に貴賎貧富、知愚強弱が生じることを認めても、それによってそれぞれの階層間の交際までを封じることはない筈なのに、日本ではこれらの階層間の交際が遮断されて来た。
  それに対して、西洋では時間はかかったが各階層の並立を認め、それらの間に自由が存立するようになった。例えていえば、金銀銅鉄などのような諸元素を鎔解して一つの塊とすると、この塊は金でも銀でもなく、銅鉄でもない、一種の混合体としてその平均を保ち、相互に維持し合いながら全体を形成している、西洋の文明はそのように形成されていると言うのである。しかも、日本では階層間交際が遮断されるだけでなく、人間の権利まで影響を及ぼす「強圧抑制の循環システム」が成り立っており、福澤はこれを「権力の偏重」と名づけ、その「権力の偏重」が作
って来た弊害が、人々を萎えさせ、進取の気性を奪い取ったことを指摘し、これを助長してきた原因の一つに古学主義も挙げる。

   人々に自由のあることを忘れさせ、長いものに巻かれる沈滞の風土が、経済活動にも表れていることを指摘したのが冒頭に掲げた文章である。徳川時代に実施されていた「四公六民」の税法を例にあげて、税金を納めた後はお上(かみ)任せにしてしまう実態。使う者と使われる者が、脈絡もなく分離されている気風からは開かれた文明は生まれないと警鐘を鳴らす。要約すると、福澤は経済原則として二つをあげる。第一則に「財を貯蓄し、これを消費すること。この貯蓄と消費の両様の関係は最も近密でなければならず、離して考えられるものではない」といい、第二則に「財を蓄積しこれを消費するには、その財に相応すべき知力と、その事を処する習慣が必要である」という。応援団子は思う。今、我らの生活を見ても、我らは入ってくる収入に応じて消費し、収入の多寡により消費の規模を考慮して、その許される範囲内でささやかであろうとも、より高い文化生活を得ようとするではないか。何故、税金の行方に目をつむるのか。「官民望むところを一つにし、入るを計って出るを制し、国家として敢然と自立存在するところを世界に示せ」というのが福澤の提言である。「お金は天から降って来るわけではない」と政府にも釘を刺すのである。

   日本でも「Tax Payer=税金納入者」という概念が、一般的に通用するようになり、税金の使われ方に目を光らせていく気風が醸成されていくことは、国や地方自治体の運営にとって好ましい。福澤がこの時代にすでに納税者が、税金の行方をお役人任せにする悪習を次のように指摘している。「何れにも国内の蓄積者は、費散者の処置に付き、少しも喙(くちばし)を入れざる風なれば、費散者は出(いずる)を計りて入(いる)を制するにあらず。
  出入ともに限なく、ただ下民の生計を察して従前の有様に止まれば、これを最上の仁政として他を顧(かえりみ)る所あらず。年々歳々、同一様のことを繰返して、此処に積みては彼処に散じ、一字の文字を二人にて書き、以て数百年の今日に至り、顧(かえりみ)て古今を比較して、全国の経済の由来を見れば、その進歩の遅きこと実に驚くに堪えたり」と。如何であろうか。「人任せでは進歩しないぞ」と檄を飛ばしているのである。今、わが日本の税金の使われ方の実態や、税金ではないが、一番ホットな年金制度の欠陥が取り沙汰されて、問題の所在が報道される昨今、福澤の指摘が我らの胸を突き刺しはしないか。我らは国政や地方自治行政に、更に一歩踏み込んで参加していく必要があるのではないか。

   福澤は続く第十章「自国の独立を論ず」の中でも、現代人が簡単に笑い飛ばせない意見を吐いている。それは次のようなものである。「概していえば、今の時節は、上下貴賎皆得意の色を為すべくして、貧乏の一事を除く外は、更に身心を窘(くる)しむるものなし。討ち死にも損なり、敵討ちも空なり、師(いくさ)に出れば危し、腹を切れば痛し。学問も仕官もただ銭のためのみ、銭さえあれば何事を勉めざるも可なり、銭の向かう所は天下に敵なしとて、人の品行は銭を以て相場を立てたるものの如し。この有様を以て昔の窮屈なる時代に比すれば、豈これを気楽なりといわざるべけんや。故にいわく、今の人民は重荷を卸して正に休息するものなり」と指摘する。応援団子は本稿の第二回、第三回で高坂正堯の著作「文明が衰亡するとき」と「吉田茂」を取り上げ、拝金主義、自己中心主義に偏る現代の風潮と、政治、学問、職業上での専門化がもたらす閉鎖的なセクショナリズムの弊害に関して問題を提起した。とかく日本人は、専門分野には壁を作って中身を隠し、専門外のことには無関心、己のことのみ血眼になる醜態を演ずる。封建の世から開放されて、福澤が「重荷を卸して休息している時ではない」と叱責した当時と現在に違いが見られない。

   今や日本には、安全保障にかかわる対米問題、即ち憲法問題を含む日本の自主自立の問題も、年金改革や社会保険庁の保険料収入の使い方も、選挙投票率の低いのも、商品欠陥の隠匿が話題になっている大企業の組織風土も、災いに乗じて己の利をむさぼる悪徳経営者も、よくよく根っこを探っていけば、昔から変わらぬ日本人にはびこる「甘えの構造」遺伝子によるものといえるのではないか。福澤は、本著第十章において、国体、政治、学問、宗教、戦争、外国交際、貿易、教育の各分野におけるこの悪性遺伝子除去の考察を試み、自国独立の道を切り開くことは容易ではないが、外国交際、商工業の発展など、人々は新たに担がなければならない重荷を背負い直し、平素はそれぞれが自らの職業に傾注していても、国家独立の一大事には心身ともに鋭敏且つ果敢に「自国独立という大目的のために心を一つにせよ」という。百三十年前の言葉ながら今もズシリと重たい。今回は「蓄積、費散」の部分読みに終わり、何とか著者に迫りたいと思いながら書いたけれど、その内容が足元にも届かない。福澤の書は近々再度取り上げたい。(応援団子A)


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